1 無名さん

独り言1058

ある男が夜中の四時にテレビを見ていた。
どのチャンネルを回しても映るのは通販番組や試験電波。
男は暇をもてあます夜を過ごし、だか眠りに落ちることも拒んでいた。
しかたなく通販番組にチャンネルを合わせ、あまりに疑わしい商品を素晴らしいかのように語りつづけるタレントに含み笑いを浮かべる。

(はっ、こんなもの嘘に決まってる。いくらもらって誉めてんだ)

時間はゆっくりと流れ、男はイライラと番組を鑑賞していた。
見始めてからまだ30分しか経っていない、その事実にもイラついた。

(いつまでこんなくだらない番組を続けるつもりだ)

男はいい加減に眠ろうかと思い、テレビの電源を切ろうとした。

リーン、リーン

同時にニュース速報の音がした。
なんだろう、なにか大事件でも起こったのだろうか。
男は不謹慎ながらもわくわくした表情で画面上部に浮かぶ「ニュース速報」の文字を直視した。
点滅する文字、そして文字が一斉に画面に現れた。
「確実でないならば君の腰が砕けるほどのハンマーを持っているならば僕達はハンマーを持っているならば君の腰を砕くことも確実になるのならば君の言葉を砕くハンマーを持って君の所にいくのならば僕達は君のハンマーを持っているのならば君を燃やすように一万回の擦り付けを火を起こすことが可能だと君が言うのならば明日と今日の今日の今日は君の部屋に行きたいのなら地図を逆さの地図を血に染めた地図を血が流れてぽたぽた流れて君の手に集めて血が溢れるハンマーで君の腰を砕いてどろどろ流れて確実でないのならば君のハンマーを僕に集めて一万回集めて火を起こす地図を燃やすと君の家に行けないのならばぼたぼた流れて今日の今日に砕く確実なハンマーを地図に集めて腰を砕くのなら頭を砕くのなら目を砕砕くからからからぼたぼたとハンマーがを砕く頭を砕くのくのならハンマーを砕くのならぼたぼた流れて頭がぼたぼた流れて一万回集まって頭がどろどろ集まって行きたいのなら君の頭を砕いて僕達の仲間が集まって君の仲間が集まって今日に明日にハンマーで今日にハンマーで今ハンマーで君の家の地図がぼたぼた集まって向かっているハンマーが砕くから頭を砕くから足を砕くから目を砕くから君の頭をぼたぼたと血が燃やすようにぼたぼたと火をつけるためにハンマーが砕くから今日と今日地図に流れてぼたぼたハンマーが確実に確実でないのなら一万回の擦り付けを砕くのなら君の卵を砕くからからからぼたぼたとハンマーが確実に確実でないのなら火をつけるために確実にハンマーが君の頭を砕くから君の頭を砕く頭を砕くか頭を頭頭を砕く頭を砕く頭を砕く頭を砕く頭を砕頭を砕くかハンマーが砕くからからからぼたぼたとハンマーがぼたぼたと」

文字が一斉に画面に現れた。男は唖然とした。
こんなニュース速報は見た事がない、いやこんなニュース速報はありえない。テレビ局がミスでこんな文章を流すとも思えない。
ならばこれはなんだ。
文中に何度も出てくる「ハンマーで砕くから」というくだりが男をゾッとさせた。
しかも文字は普通のニュース速報と違い、いつまでも画面に残っている。

男は第六感からか危険な匂いを感じ取り、テレビの電源ボタンを押した。
テレビはあっけなくその画面を消した。

ドンドンドン!

突然、男の部屋の壁がみしみしと揺れた。
男はひっ、と壁から離れ腰を抜かしたようにその場にへたりこんだ。
テレビの裏の壁を誰かが叩いているのだ。ハンマーのようなもので。

ドンドンドン!

音のたびにミシミシと壁がうなりをあげて、チリチリと粉を舞い上げる。

「ハンマーを砕くのならぼたぼた流れて頭がぼたぼた流れて一万回集まって頭がどろどろ……」

誰かが呟く声が聞こえた。大勢が呟く声が聞こえた。

「誰だっ! 帰れ! 帰れ!!」

男は震え上がりながらも気丈な声で壁に向かって怒鳴る。が、声も音も止まない。

ミシミシ、ミシミシ
男の目の前で壁が盛り上がり、黒いシミのようなものが壁に広がる。いや、あれは人だ。

「ぎゃあぁっっっ!」

男は絶叫した。
黒いシミは人の形を取り、壁から抜け出し男に近づいた。その右手には大きなハンマーが握られていた。
ぶんっ、無慈悲にハンマーは男の頭に振り下ろされる。
男は首を肩へ折り曲げるように避けたが、ハンマーは肩に食い込みミシミシと骨が中で砕けるのが分かった。
衝撃で皮膚が引っ張られ首の筋にピキピキと鋭い痛みが走る。肩の皮膚が裂けてそこからおびただしい血が流れ出していくのが分かった。

無造作にハンマーは砕いた肩から持ち上げられる。
遠ざかる意識の中で男は自分の肩を見た。そこにはつぶれた肩がハンマーの形を作ったままびくびくと血を吐き出している。
男は見上げる。再びハンマーが振り下ろさ……を砕くのならぼたぼた流れて頭がぼたぼた。
私は学校にいた。中学校だ。もう随分前に卒業した。
これが夢だとすぐに気づいたのはあまりにも校内がしーんと静まりかえっていたからだ。
何より今の自分に中学校に来る用事などない。
少々不気味ではあったが、緑色の廊下や歩くとミシミシいう教室は懐かしかった。

しばらくぶらついていると、廊下の隅にあるトイレが目に付いた。

(はは、懐かし)

中学時代の私は胃腸が弱く、授業中にトイレに駆け込むこともしばしばあった。
だから、変な言い方だがトイレは結構身近な存在だった。

キィっとドアを開けて中に入る。相変わらず汚い。
私はなぜか吸い込まれるように個室に入った。洋式トイレにどかっと腰を下ろす。

(何で、俺こんなことしてんだ……?)

そこでようやく私は自分の行動の異常さに気づいた。
そう、なんで私は夢の中でトイレの個室なんかに入っているんだ、と。
じわじわと恐怖感が芽生え始めた。

(怖い、怖い! 何で俺トイレなんかに入ってんだよ……!)

軽いパニック状態に陥り、キョロキョロと周りを見回した。
すると、動いたはずみでかさっという音が上着のポケットから聞こえた。
何だろうと思って引っ張り出してみると、それは何の変哲もない一枚の紙。くしゃくしゃに丸まっていた。
開いてみる。そこには私の筆跡と思しき字でこう書かれていた。

「ばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばり」
(ばりばり……?)

意味が分からない。元々字が汚い私であるが、そこに書かれている字はそれに輪をかけて汚く、ひどく焦って書いたような印象があった。
首をかしげて疑問符を浮かべていると、一番奥の個室から物音がした。

(!!!)

びっくりした。誰もいないと思っていたのに。音は断続的に続いていた。
自然とそっちに耳を傾けると……

「ばり……ばりばり、ばりっ……ばりばり」

心臓が飛び出るかと思った。ばりばり……紙に書いてあったのはこのことだ。
でもこの音源がなんであるのかは全く見当がつかなかった。
ただ言えることは、なにか軽い感じの音ではなくなんとなく重い感じの音だった。
私は今すぐ逃げ出したい気持ちだったのに、どういうわけか壁をよじ登って上から音源の個室を覗き見ることにした。
もちろん細心の注意を払って音一つ立てないようにだ。

私は見た。私の個室からは隣の隣に位置するためすべて見ることは出来なかったが、音源が人間であることは分かった。それも女の子だ。黒髪の。おかっぱで。
そう、まるでみんながイメージする「トイレの花子さん」そのまんまだ。
髪の毛が邪魔で何をしているかは分からなかったが、そいつが何やら頭を上下に動かすたびにまたあの「ばり、ばり」という音が響いた。
私は自分でも驚いたが、信じられないほどの勇気をもってさらに身をのりだした。
そこで私は見た。
少女が、人間の生首を頭蓋骨からばりばりと食ってるのを……。
私は絶叫した! もうなりふりかまっていられない! 殺される! ドアを蹴破って個室を飛び出した。足がもつれて男性用便器に激突したがそれどころじゃない! 振り向けば一番奥の個室が薄く開きはじめていた。

(やばいやばいやばいやばいやばい!!)

全力疾走。トイレを出て階段を目指す。母校だけあって校内の地理は完璧だった。
自分がいるのは地上三階。3段、4段飛ばして階段を駆け下りる。すぐに一階にたどり着いた。
そこで私は異様な光景を見た。
下駄箱には片足の無い少年や、和服姿の女の子、その他にも妖怪のような気持ちの悪いやつらがうようよしていたのだ。
でもそいつらは私を珍しがっていたようだが敵意は無さそうで、すぐに襲いかかってくるような気配はなかった。

私はほっと安心する間もなく校庭に出る扉に飛びついた。一つ目の扉には鍵がかかっていて開かなかった。二つ目も三つ目も。
四つ目にも鍵がかかっていたのだが、これだけ内鍵? のような仕様で、ひねれば簡単に開く鍵だった。
開けるなりまた蹴破るように外に飛び出した。

「やった! 助かった!」

やった、助かった……? 自分で言ってなんだか変な感じがした。何で外に出ただけで助かったなんて言えるのだろうか。
ここにきてやっと私は思い出した。

(俺、この夢見たことある……)

そう、前に一度だけこれと同じ夢を見たことがある。
あのばりばりというメッセージも前の夢で自分が書いたものなのだろう。
この扉を出てすぐ右手にフェンスを切り取って作ったような簡単なドアがある。
前の夢ではそこを出た瞬間に目が覚めたのだ。だからゴールが近いということを知っていたから「助かった」などと言ったのだ。
例えばりばりが追っかけてきたとしても、ダッシュで走ればもう追いつかれないという自信すらあった。

そう思って私は扉の方を見た。絶句した。
私が通っていた頃のその扉は常時開け放たれていた。それなのに今は閉まった状態であり、おまけにごつい錠前までしてあった。
「うそ……うそうそウソだろふざけんなっ!!」

私はすっかり忘れていたのだ。最近小学校や中学校も物騒になってきており、登下校時間以外は全ての門を閉めておくことになっていたのだ。
私が前にこの夢を見たときにはそんな規則はまだなかった。だから門はいつも開いていた。

私はどうしていいか全く分からず天を仰ぎ見た。するとトイレの窓から誰かがこちらを見つめているのに気がついた。
ばりばりと目が合った。鳥肌がぶわっとたった。全身の毛穴が開く感じ。背筋が凍ったような気がして体温も急激に下がっていった。

「逃げなきゃ! 逃げなきゃ! 逃げなきゃ!」

私はとにかく走った。あいつから少しでも離れなきゃいけなかった。
そこで私は思い出した。確か給食センターの車が入る門がある。あれはかなり低いのでよじ登ることだってできるだろう。
そこへ向かってがむしゃらに走った。確かめてはいないがすぐ後ろにばりばりがいるってことが何となく分かった。しかも自分より速い。50メートルもしないうちに追いつかれるような勢いだった。

もうここからは感覚というものがほとんど無かった。ただ走って、門が見えて、それを全身で這うようにして登った。最後は転がり込むように門の外へ身を投げ出した。

(助かった。今度こそ)
そう思った。わけもなく。ただ絶対自分は助かったという安心感があった。
私は視線を外から学校へと向けた。ばりばりとの距離がどれだけ縮まっていたのか確かめておきたかった。

振り向いた瞬間、私は再び肝を冷やした。ばりばりとの距離は無きに等しかった。もう目と鼻の先にあいつがいた。
私の頭蓋骨を両手で掴みとらんとばかりにこれでもかと伸ばした状態で固まっていた。
そしてあいつはこう言った。

「今度は殺せると思ったのに」

そこで私は目が覚めた。
当然のごとく全身は汗びっしょり軽くめまいすらした。
起きて私がした行動は、この夢を忘れないようにノートにメモを取ること。あまりにも怖い夢だったので後で誰かに話したかったのだ。
しかしメモなんて滅多にしたことないのですぐにノートは見つからなかった。

本棚の奥にあった古びたノートをやっと見つけ、開いた瞬間また私は絶句した。

「ばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばりばり」

ノートの最後のページには確かにそう書いてあった。
私は恐怖のあまりしばらく動けなかった。

一度目の夢はほとんど記憶にないが、わりと楽に逃げ切れた気がする。
二度目は今話した通りだ。でも三度目は……考えただけでぞっとする。
はっきりいって今度またあの夢を見たら逃げ切れる自信はない。

もし今後、新聞かなにかで「寝たまま死んでしまった人」なんて記事があったら、それはもしかしたら私かもしれない。
絶対そんなことは起きてほしくないけど。
その日はエイプリルフールだった。特にすることもなかった僕らは、いつものように僕の部屋に集まると適当にビールを飲み始めた。

その日はエイプリルフールだったので、退屈な僕らはひとつのゲームを思い付いた。
「嘘をつきながら喋り、そしてそれを皆で聞いて酒の肴にする」くだらないゲームだ。だけど、そのくだらなさが良かった。

トップバッターは僕で、この夏ナンパした女が妊娠して実は今、一児の父なんだ、という話をした。
初めて知ったのだが、「嘘をついてみろ」と言われた場合、人は100%の嘘をつくことはできない。
僕の場合、夏にナンパはしてないけど当時の彼女は妊娠したし、一児の父ではないけれど背中に水子は背負っている。
どいつがどんな嘘をついているかはなかなか見抜けない。見抜けないからこそ、楽しい。

そうやって順繰りに嘘は進み、最後の奴にバトンが回った。
そいつは、ちびり、とビールを舐めると申し訳なさそうにこう言った。

「俺はみんなみたいに器用に嘘はつけないから、ひとつ、作り話をするよ」

「なんだよそれ。趣旨と違うじゃねえか」

「まあいいから聞けよ。退屈はさせないからさ」

そう言って姿勢を正した彼は、では、と呟いて話を始めた。

「僕は朝起きて気付くと、何もない白い部屋にいた」

「どうしてそこにいるのか、どうやってそこまで来たのかは全く覚えていない。ただ、目を覚ましてみたら僕はそこにいた。しばらく呆然としながら状況を把握できないままでいたんだけど、急に天井のあたりから声が響いた。古いスピーカーだったんだろうね、ノイズがかった変な声だった。声はこう言った」
「『これから進む道は人生の道であり人間の業を歩む道。選択と苦悶と決断のみを与える。歩く道は多くしてひとつ、決して矛盾を歩むことなく』って。そして、そこで初めて気付いたんだけど僕の背中の側にはドアがあったんだ。横に赤いべったりした文字で『進め』って書いてあった」

「ドアを開けたら、右手にテレビ、左手に人が入った寝袋があった。テレビには、アフリカかなあ、飢餓に苦しむ子供たちの映像が写っていた。左手の寝袋は、誰かが入ってるんだろうけどジッパーがきっちり閉められてて、どんな人が入ってるのかは分からなかった」

「部屋の中に入った。すると真ん中あたりの床に紙切れが落ちてるのを見つけた。それにはこう書いてあった」

「『3つ与えます。ひとつ、右手のテレビを壊すこと。ふたつ、左手の人を殺すこと。みっつ、あなたが死ぬこと。ひとつめを選べば、出口に近付きます。あなたと左手の人は開放され、その代わり彼らは死にます。ふたつめを選べば、出口に近付きます。その代わり左手の人の道は終わりです。みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、あなたの道は終わりです』」

「めちゃくちゃだよ。どれを選んでもあまりに救いがないじゃないか。馬鹿らしい話だよ。でもその状況を馬鹿らしいなんて思うことはできなかった。それどころか僕は恐怖でガタガタと震えた。それくらいあそこの雰囲気は異様で、有無を言わせないものがあった」

「そして僕は考えた。どこかの見知らぬ多数の命か、すぐそばの見知らぬ一つの命か、一番近くのよく知る命か。進まなければ確実に死ぬ。それは『みっつめ』の選択になるんだろうか。嫌だ。何も分からないまま死にたくはない。一つの命か多くの命か? そんなものは比べるまでもない」

「寝袋の脇には大振りの鉈があった。僕は静かに鉈を手に取るとゆっくり振り上げ、動かない芋虫のような寝袋に向かって鉈を振り下ろした。ぐちゃ。鈍い音が、感覚が伝わる。次のドアが開いた気配はない。もう一度鉈を振るう。ぐちゃ。顔の見えない匿名性が罪悪感を麻痺させる」
「もう一度鉈を振り上げたところで、かちゃり、と音がしてドアが開いた。右手のテレビの画面からは、色のない瞳をした餓鬼がぎょろりとした眼でこちらを覗き返していた」
「次の部屋に入ると、右手には客船の模型、左手には同じように寝袋があった。床にはやはり紙が落ちてて、そこにはこうあった」

「『3つ与えます。ひとつ、右手の客船を壊すこと。ふたつ、左手の寝袋を燃やすこと。みっつ、あなたが死ぬこと。ひとつめを選べば、出口に近付きます。あなたと左手の人は開放され、その代わり客船の乗客は死にます。ふたつめを選べば、出口に近付きます。その代わり左手の人の道は終わりです。みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、あなたの道は終わりです』」

「客船はただの模型だった。普通に考えればこれを壊したら人が死ぬなんてあり得ない。けどその時、その紙に書いてあることは絶対に本当なんだと思った。理由なんてないよ。ただそう思ったんだ」

「僕は寝袋の脇にあった灯油を空になるまでふりかけて、用意されてあったマッチを擦って灯油へ放った。ぼっ、という音がして寝袋はたちまち炎に包まれたよ。僕は客船の前に立ち、模型をぼうっと眺めながら鍵が開くのを待った」
「2分くらい経った時かな、もう時間の感覚なんかはなかったけど、人の死ぬ時間だからね。たぶん2分くらいだろう。かちゃ、という音がして次のドアが開いた。左手の方がどうなっているのか、確認はしなかったし、したくなかった」

「次の部屋に入ると、今度は右手に地球儀があり、左手にはまた寝袋があった。僕は足早に紙切れを拾うと、そこにはこうあった」

「『3つ与えます。ひとつ、右手の地球儀を壊すこと。ふたつ、左手の寝袋を撃ち抜くこと。みっつ、あなたが死ぬこと。ひとつめを選べば、出口に近付きます。あなたと左手の人は開放され、その代わり世界のどこかに核が落ちます。ふたつめを選べば、出口に近付きます。その代わり左手の人の道は終わりです。みっつめを選べば、左手の人は開放され、おめでとう、あなたの道は終わりです』」

「思考や感情はもはや完全に麻痺していた。僕は半ば機械的に寝袋脇の拳銃を拾い撃鉄を起こすと、すぐさま人差し指に力を込めた。ぱん、と乾いた音がした。ぱん、ぱん、ぱん、ぱん、ぱん。リボルバー式の拳銃は6発で空になった。初めて扱った拳銃は、コンビニで買い物をするよりも手軽だったよ」

「ドアに向かうと、鍵は既に開いていた。何発目で寝袋が死んだのかは知りたくもなかった」

「最後の部屋は何もない部屋だった。思わず僕はえっ、と声を洩らしたけど、ここは出口なのかもしれないと思うと少し安堵した。やっと出られる。そう思ってね。すると再び頭の上から声が聞こえた」
「『最後の問い。3人の人間とそれを除いた全世界の人間、そして君。殺すとしたら、何を選ぶ』。僕は何も考えることなく、黙って今来た道を指差した。するとまた、頭の上から声がした」

「『おめでとう。君は矛盾なく道を選ぶことができた。人生とは選択の連続であり、匿名の幸福の裏には匿名の不幸があり、匿名の生のために匿名の死がある。ひとつの命は地球よりも重くない。君はそれを証明した。しかしそれは決して命の重さを否定することではない。最後に、ひとつひとつの命がどれだけ重いのかを感じてもらう。出口は開いた。おめでとう。おめでとう』」

「僕はぼうっとその声を聞いて、安心したような、虚脱したような感じを受けた。とにかく全身から一気に力が抜けて、フラフラになりながら最後のドアを開けた」

「光の降り注ぐ眩しい部屋、目がくらみながら進むと、足にコツンと何かが当たった。三つの遺影があった。父と、母と、弟の遺影が」

「これで、おしまい」

彼の話が終わった時、僕らは唾も飲み込めないくらい緊張していた。
こいつのこの話は何なんだろう。得も言われぬ迫力は何なんだろう。
そこにいる誰もが、ぬらりとした気味の悪い感覚に囚われた。

僕はビールをグっと飲み干すと、勢いをつけてこう言った。

「……んな気味の悪い話はやめろよ! 楽しく嘘の話をしよーぜ! ほら、お前もやっぱり何か嘘ついてみろよ!」

そういうと彼は、口角を釣り上げただけの不気味な笑みを見せた。
その表情に、体の底から身震いするような恐怖を覚えた。

そして、口を開いた。


「もう、ついたよ」


「え?」
これはOLとして働きながらひとり暮らしをしていた数年前の夏の話です。
私が当時住んでいた1DKは、トイレと浴槽が一緒になったユニットバスでした。

ある夜、沸いた頃を見計らってお風呂に入ろうと浴槽のフタを開くと、人の頭のような影が見えました。
頭部の上半分が浴槽の真ん中にポッコリと浮き、鼻の付け根から下は沈んでいました。

それは女でした。見開いた両目は正面の浴槽の壁を見つめ、長い髪が海藻のように揺れて広がり、浮力でふわりと持ちあげられた白く細い両腕が黒髪の間に見え隠れしていました。

どんな姿勢をとっても狭い浴槽にこんな風に入れるはずがありません。人間でないことはあきらかでした。
突然の出来事に、私はフタを手にしたまま裸で立ちつくしてしまいました。

女は呆然とする私に気づいたようでした。目だけを動かして私を見すえると、ニタっと笑った口元はお湯の中、黒く長い髪の合間で真っ赤に開きました。

(あっ、だめだっ!)

次の瞬間、私は浴槽にフタをしました。フタの下からゴボゴボという音に混ざって笑い声が聞こえてきました。と同時に、閉じたフタを下から引っ掻くような音が……。

私は洗面器やブラシやシャンプーやら、そのあたりにあるものをわざと大きな音を立てながら手当たり次第にフタの上へ乗せ、慌てて浴室を飛び出ました。
浴室の扉の向こうではフタの下から聞こえる引っ掻く音が掌で叩く音に変わっていました。
私は脱いだばかりのTシャツとGパンを身につけ、部屋を飛び出るとタクシーを拾い、一番近くに住む女友達のところへ逃げ込んだのです。
――数時間後、深夜十二時を回っていたと思います。
鍵もかけず、また何も持たず飛び出たこともあり、友人に付き添ってもらい部屋へ戻りました。
友人は今回のような話を笑い飛ばすタイプで、好奇心旺盛な彼女が浴室の扉を開けてくれる事になりました。

浴室はとても静かでした。フタの上に載せた色んなものは全部床に落ちていました。お湯の中からの笑い声もフタを叩く音もしていません。
友人が浴槽のフタを開きました。しかし湯気が立つだけで女どころか髪の毛の一本もありません。
お湯もキレイなものでした。それでも気味が悪いので友人に頼んでお湯を落としてもらいました。

その時、まったく別のところで嫌なものを見つけたのです。

私の身体は固まりました。洋式便器の閉じたフタと便座の間から長い髪がゾロリとはみ出ているのです。
友人もそれに気付きました。剛胆な友人は、私が止めるのも聞かず便器のフタを開きました。

その中には女の顔だけが上を向いて入っていました。まるでお面のようなその女は目だけを動かすと竦んでいる友人を見、次に私を見ました。
私と視線が合った途端、女の人はまた口をぱっくりと開き、今度はハッキリと聞こえる甲高い声で笑い始めました。

「はははははは……ははははははは……」

笑い声に合わせて女の顔がゼンマイ仕掛けのように小刻みに震え、はみ出た黒髪がぞぞぞぞっ……っと便器の中に引き込まれました。
顔を引きつらせた友人は叩きつけるように便器のフタを閉じました。そしてそのまま片手でフタを押さえ、もう片方の手で水洗のレバーをひねりました。
耳障りな笑い声が水の流れる音と、無理矢理飲み込もうとする吸引音にかき消されました。

その後は無我夢中だったせいかよく覚えていません。気が付くと簡単な着替えと貴重品だけを持って、私と友人は友人の部屋の前にいました。
部屋に入った友人はまず最初にトイレと浴槽のフタを開き、「絶対に閉じないでね」と言いました。

翌日の早朝、嫌がる友人に頼み込んでもう一度付き添ってもらい、自分の部屋へ戻りました。
しかしそこにはもう何もありませんでした。
それでも私はアパートを引き払い、実家に帰ることにしました。通勤時間は長くなるなどと言っていられません。

今でもお風呂に入るときは母か妹が入っているタイミングを見計らって入るようにしています。
トイレのフタは家族に了解をもらってずっと外したままにしてあります。
私には霊感がありません。
ですから、幽霊の姿を見たことはないし声を聞いたこともありません。

それでも、ものすごく怖い思いをたった一度だけ中学生の時に体験しました。
その話を聞いていただきたいと思います。

14歳の頃、父を亡くした私は母の実家に引っ越すことになりました。
母方の祖父はとうに亡くなっていたので、祖母と母と私の女3人だけの暮らしとなります。

私は親が死んだショックから立ち直れないまま、新しい環境に早急に馴染まなくてはいけませんでした。
不安はあったのですが、私の身の上に同情してか転校先の級友も優しく接してくれました。

特にS子という女の子は、転校してきたばかりの私に大変親切にしてくれ、教科書を見せてくれたり話相手になってくれたりしました。
彼女と親友になった私は、自然に周囲に心を開いてゆき、2ヶ月も経つ頃には皆でふざけあったり楽しく笑いあったりもできるようになりました。

さてそのクラスには、F美という可愛らしい女の子がいました。

私は彼女に何となく心惹かれていました。
もちろん変な意味ではなく、女の子が見ても可愛いなと思えるような小柄できゃしゃな感じの子だったので、同性として好意を持っていたのです(私はちょっと地黒で背も高いので、今考えると多少の羨望もおそらくあったのだと思います)。
好かれようとしていると効果はあるもので、席替えで同じ班になったことからだんだん話すようになり、彼女が母子家庭であることがわかって余計に親しくするようになりました。
もっともF美の場合は死に別れたのではなくて、父親が別の女性と逃げたとかそういうことだったように聞きました。

彼女も女だけで生活しているということを知ったとき、この子と友達になってよかったな、と心底思いました。

ただそれも、彼女の家に遊びに行くまでの短い間でしたが……。


その日、私が何故F美の家を訪ねることになったのか、私は覚えていません。

ずいぶん昔の話だからというのもありますが、それよりも、彼女の家で見たものがあまりに強い印象を残したので、そういった些細なことがあやふやになっているのでしょう。

その時S子もいました。
それまでもS子はF美のことをあまり好いておらず、私が彼女と仲良くすることを好ましくは思っていないようでした。

それなのに何で彼女がついて来たのか、私には思い出せません。

しかしとにかく学校の帰り、家が全然別の方向なのにもかかわらず、私とS子は何かの用事でF美の家に寄ったのでした。
彼女の家は正直古さの目立つ平屋で、木造の壁板は反り返り、庭はほとんどなく、隣家との間が50センチもないような狭苦しい場所にありました。

私はちょっと驚きましたが、おばあちゃんの家も年季は入っていますし、家計が苦しいのはしょうがないだろうと思って自分を恥ずかしく思いました。

「おかあさん」

F美が呼ぶと、少ししわは目立つものの、にこやかな顔をしたきれいなおばさんが奥から出てきて、私とS子にこちらが恐縮するほどの深々としたおじぎをしました。

洗濯物をとりこんでいたらしく、手にタオルや下着を下げていました。

「お飲み物もっていってあげる」

随分と楽しそうに言うのは、家に遊びに来る娘の友達が少ないからかもしれない、と私は思いました。
実際F美も「家にはあんまり人は呼ばない」と言ってましたから。

もしF美の部屋があんまり女の子らしくなくても驚くまい、と私は自分に命じました。
そんなことで優越感を持ってしまうのは嫌だったからです。
しかし彼女の部屋の戸が開いたとき、目にとびこんできたのは予想もつかないものでした。

F美がきれいだということはお話ししましたが、そのぶんやはりお洒落には気を使っているということです。
明るい色のカーテンが下がり、机の上にぬいぐるみが座っているなど予想以上に女の子らしい部屋でした。

たった一点を除いては。


部屋の隅に立っていてこっちを見ていたもの。

マネキン。


それは間違いなく男のマネキンでした。

その姿は今でも忘れられません。
両手を曲げて縮め、Wのかたちにして、こちらをまっすぐ見つめているようでした。

マネキンの例にもれず、顔はとても整っているのですが、そのぶんだけその視線がよけい生気のないうつろなものに見えました。

マネキンは真っ赤なトレーナーを着、帽子を被っていました。
不謹慎ですが、さっき見たおばさんが身につけていたものよりよほど上等なもののように思えました。

「これ……」

S子と私は唖然としてF美を見ましたが、彼女は別段意外なふうでもなく、マネキンに近寄ると帽子の角度をちょっと触って調節しました。
その手つきを見ていて私は鳥肌が立ちました。

「かっこいいでしょう」

F美が言いましたが、何だか抑揚のない口調でした。
その大して嬉しそうでもない言い方が余計にぞっと感じました。

「ようこそいらっしゃい」

と言いながら、トレーにケーキと紅茶を乗せたおばさんが入ってきて、空気が救われた感じになりました。

私と同じく場をもてあましていたのでしょう、S子が手を伸ばしお皿を座卓の上に並べました。

私も手伝おうとしたのですが、お皿が全部で4つありました。
あれ、おばさんも食べるのかな、と思いふと手が止まりました。

その時、おばさんがケーキと紅茶のお皿を取ると、にこにこと笑ったままF美の机の上に置きました。
それはマネキンのすぐそばでした。

とんでもないところに来た、と私は思いました。
服の中を、自分ではっきりそれとわかる冷たい汗が流れ続け、止まりませんでした。

F美はじっとマネキンのそばに置かれた紅茶の方を凝視していました。
こちらからは彼女の髪の毛しか見えません。

しかし突然前を向いて、何事もなかったかのようにフォークでケーキをつつき、お砂糖つぼを私たちに回してきました。

私はマネキンについて聞こうと思いました。

彼女たちはあれを人間扱いしているようです。
しかもケーキを出したり服を着せたりと上等な扱いようです。

ですが、F美もおばさんもマネキンに話しかけたりはしていません。
彼女たちはあれを何だと思っているのだろう? と考えました。

マネキンの扱いでは断じてありません。
しかし、完全に人だと思って思い込んでいるのだとしたら「彼」とか「あの人」とか呼んで、私たちに説明するとかしそうなものです。

でもそうはしない。
その、どっちともとれない中途半端な感じが、ひどく私を不快にさせました。

私がマネキンのことについて尋ねたら、F美は何と答えるだろう。
どういう返事が返ってきても、私は叫びだしてしまいそうな予感がしました。

どう考えても普通じゃない。


何か話題を探しました。
部屋の隅に鳥かごがありました。

マネキンのこと以外なら何でもいい。
普通の、学校で見るようなF美を見さえすれば安心できるような気がしました。
「トリ、飼ってるの?」

「いなくなっちゃった」

「そう……かわいそうね」

「いらなくなったから」

まるで無機質な言い方でした。
飼っていた鳥に対する愛着などみじんも感じられない。

もう出たい、と思いました。
帰りたい、帰りたい。ここはやばい。長くいたらおかしくなってしまう。

その時、

「トイレどこかな?」

とS子が立ち上がりました。

「廊下の向こう、外でてすぐ」

とF美が答えると、S子はそそくさと出ていってしまいました。
そのとき正直、私は彼女を呪いました。

私はずっと下を向いたままでした。
もう、たとえ何を話してもF美と意思の疎通は無理だろう、ということを確信していました。
ぱたぱたと足音がするまで、とても長い時間がすぎたように思いましたが、実際にはほんの数分だったでしょう。
S子が顔を出して、「ごめん、帰ろう」と私に言いました。

S子の顔は青ざめていました。
F美の方には絶対に目を向けようとしないのでした。

「そう、おかえりなさい」

とF美は言いました。
そのずれた言い方に卒倒しそうでした。

S子が私の手をぐいぐい引っ張って外に連れ出そうとします。
私はそれでもまだ、形だけでもおばさんにおいとまを言っておくべきだと思っていました。

顔を合わせる勇気はありませんでしたが、奥に声をかけようとしたのです。
F美の部屋の向こうにあるふすまが、20センチほど開いていました。

「すいません失礼します……」

よく声が出たものです。

――その直後、隙間から手が伸びてきてピシャッ! と勢いよくふすまが閉じられました。

私たちは逃げるようにF美の家を出ていきました。
帰り道、私たちは夢中で自転車をこぎ続けました。

S子が終始私の前を走り、1メートルでも遠くへ行きたいとでも言うかのように、何も喋らないまま、自分たちのいつもの帰り道まで戻っていきました。

やっと安心できると思える場所に着くと、私たちは飲み物を買って一心不乱にのどの渇きを癒しました。

「もう付き合うのはやめろ」

とS子が言いました。
それは言われるまでもないことでした。

「あの家やばい。F美もやばい。でもおばさんがおかしい。あれは完全に……」

「おばさん?」

トイレに行った時のことをS子は話しました。

S子がF美の部屋を出たとき、隣のふすまが開いていました。
彼女は何気なしに通りすぎようとして、その部屋の中を見てしまったそうです。
  
マネキンの腕。
腕が、畳の上に4本も5本もごろごろ転がっていたそうです。

そして傍らで座布団に座ったおばさんが、その腕の一本を狂ったように嘗めていたのです。

S子は震えながら用を足し、帰りにおそるおそるふすまの前を通りました。

ちらと目をやると、こちらをじっと凝視しているおばさんと目が合ってしまいました。
つい先刻の笑顔はそのかけらもなくて目が完全にすわっています。
マネキンの腕があったところには畳んだ洗濯物が積まれてありました。
その中に男もののパンツが混じっていました。

「マ、マネキンは……?」

S子はついそう言って、しまったと思ったのですが、おばさんは何も言わないままS子にむかってまたにっこりと笑顔を見せたのでした。

彼女が慌てて私を連れ出したのはその直後のことでした。


あまりにも不気味だったので、私たちはF美が喋って来ない限り彼女とは話をしなくなりました。
そしてだんだん疎遠になっていきました。

この話をみんなに広めようかと考えたのですが、到底信じてくれるとは思えません。

F美と親しい子にこの話をしても、傍目からは私たちが彼女を孤立させようとしているとしか思われないに決まっています。
特にS子がF美とあんまり仲がよくなかったことはみんな知っていますから……。

F美の家に行ったという子にこっそり話を聞いてみました。
でも一様におかしなものは見ていないと言います。

だから余計に私たちに状況は不利だったのです。

ただ、一人だけ、これは男の子ですが、そういえば妙な体験をしたと言う子がいました。
F美の家に行ってベルを押したが誰も出てこない。
あらかじめ連絡してあるはずなのに、と困ったが、とにかく待つことにした。

もしかして奥にいて聞こえないのか、と思って戸に手をかけたらガラガラと開く。
そこで彼は中を覗き込んだ。

ふすまが開いていて(S子が見た部屋がどうかはわかりません)部屋の様子が見えた。

浴衣を着た男の背中が見えた。
向こうに向いてあぐらをかいている。

音声は聞こえないがテレビでもついているのだろう、背中にブラウン管かららしい青い光がさしてときおり点滅している。

だが何度呼びかけても、男は振り返りもしないどころか身動き一つしない……。

気味が悪くなったのでそのまま家に帰った。


F美の家に男はいないはずです。

たとえ親戚やおばさんの知り合いであったところで、テレビに背中をむけてじっと何をしていたのでしょう?
それとも、男のパンツは彼のだったのでしょうか。

もしかしてそれはマネキンではないか、と私は思いました。

しかし、あぐらをかいているマネキンなどいったいあるものでしょうか。
もしあったとすれば、F美の部屋にあったのとは別のものだということになります。

あの家にはもっと他に何体もマネキンがある……?
私はこれ以上考えるのはやめにしました。


あれから14年がたったので、今では少し冷静に振り返ることができます。

私は時折、地元とはまったく関係ない所でこの話をします。
いったいあれが何だったのかは正直今でもわかりません。

もしF美たちがあれを内緒にしておきたかったとして、仲の良かった私だけならまだしも、なぜS子にも見せたのか、どう考えても納得のいく答が出ないように思うのです。

そういえば、腕をWの形にしているマネキンも見たことがありません。
それでは服は着せられないではないですか。

しかし、あの赤い服はマネキンの身体にピッタリと合っていました。
まるで自分で着たとでもいうふうに……。
去年の夏の話です。
自分、配達の仕事やっていて最初に研修という形で先輩と配るんです。
その時教えてもらったC先輩とはすぐに仲良くなって、飲みに行ったりしてました。

ある時先輩が「オレ、幽霊見ちゃうんだよ」と言ってきました。
自分、そういうの好きだから茶化さず聞いてたんです。

「オレの車、研修の時乗っただろ。あれさ、何でバックミラーにガムテープ張ってると思う?」

その理由は車の中にいる幽霊を見ないようにしてるって言うんです。
うちの車は立派な物じゃなく普通の白いワンボックスカーで、座席は運転席と助手席だけで荷物を後ろに積む形になってます。
それでマジかよとか思ったんですが、すぐにウソだと感じました。バックミラー割れてるだけだろうって。

自分の配ってる地域には先輩の家もあるんです。
先輩はその日休みで、携帯で「悪いけど駅まで送ってくれないか」と頼まれました。
夏は忙しいんですよ。でも送りました。

次の日、仕事場のオッサンに「お前ら、昨日さぼっていただろ」って言われました。すぐに言い返しました。

「さぼってないですよ。先輩を駅まで送っていっただけです。それに夏じゃ忙しくてさぼれないですよ」

「そうか。あれ、後ろに乗ってたのCの彼女か? 駄目だよ助手席に乗せてやらなきゃ」

とオッサンは言いました。乗せてないんですよね女なんか。
先輩はこわばった顔で

「その女、赤いアロハシャツ着てました?」

オッサンは、

「何言ってんだ着てたじゃないか。昨日の事覚えてないの?」

それを聞いて朝から気味悪くってバックミラーを見ないようにしてました。
夜になって仕事が終わり事務所に帰ってみんなと話してたら、その中の一人が「これ見てみろよ、面白いよ」って言いバインダーを差し出してきました。
その中にはみんなの履歴書が入っていて結構暇つぶしになるんです。
そのバインダーが置いてある棚には退職者の履歴書が入ったバインダーもあり、パラパラ見ました。
自分は8月の始めに入社したんですけど、7月に3人も辞めているんです。
その履歴書の右上には赤いペンで(研修担当者C)って書いてあります。C先輩の事です。

最初は夏だから辛くて辞めたのかな、と考えました。
でも今は、この3人は赤いアロハシャツの女を見てしまったんだなって思っています。

ある日先輩の家で酒を飲む事になりました。
2人ともアロハシャツの女については触れないようにしてた。
いつも通り盛り上がっていたんですけど、やっぱ気味悪いんですよ。あの女の事が気になって。
先輩にひっついてるなこの女は、と薄々と感じていましたから。
話が少し飛びますが、先輩の家にあるテレビはコンセントが抜いてあるんです。おまけに画面にタオルが掛けてある。辺りを見回すとパソコンと鏡にも掛けてあるんですよ。

それで酒の方は先輩が先につぶれちゃって今にも寝そう。
自分は暇だからパソコンでネットやらしてもらうことにしたんです。
先輩は一言、「夢中になるなよ」と言って横になりました。
でも夢中になってしまい随分やっていました。これがいけなかったんです。
パソコンのモニターなんですけど何かある。反射して部屋の中が映っている。
目を凝らすと自分の2メートル後ろに赤いアロハシャツの女が立っているんですよ。こっちを見てる。

「うわっ!」

目をモニターからそらしちゃいました。怖くって。
それで再度モニターを見ると、背後にピッタリと移動してる。モニターには胸から下が移りこんでいて顔は見えない。
もう目をそらせないんですよ。だってそらした瞬間に背後まで来てる。次そらしたらどうなるか分からない。
ずっとモニターを凝視してるんですが、その女からは息づかいもしてないし、ただ立ってこっちを見下ろしているんです。
部屋に聞こえるのはパソコンから出る「ウィーン」と言う音だけ。

朝方、先輩が声を掛けてくれようやく開放されました。

先輩から聞いたんですが、この女が現れてもう3年になるそうです。
前に住んでいたマンションの廊下に立っていて、先輩は通り過ぎる時に女の顔を見てしまったんです。片目が無かったらしいです。
上に書いた出来事で、自分はこの女について詳しく聞かずにはいられませんでした。
そして先輩は廊下であの女を見て「ああ、まずいな」って直感したそうです。なにせ片目が無かったから。
でも、まずいなと言いつつもすぐに忘れてしまったそうです。

それで夜になって配達が終わり家に帰ったんです。
先輩はマンションの5階に住んでいてエレベーターに乗った。
閉まる瞬間、何気なく乗ってきたそうです。アロハシャツの女が。
先輩はまだ幽霊だと思ってなかったんですって。でも動揺が隠せない。

エレベーターが動かない……。
先輩はボタン押すのも忘れてたんです。それぐらいこの女に意識が向いてた。
先輩は自分にこう言いました。
「何であの時あんな動揺しちゃったんだろ。普通に何気なく行動してればあの女ついて来なかったんじゃないかな……でも動揺しちゃうよ」

エレベーターが動きます――女は先輩の後ろに立っていたそうです。
5階に着いて、先輩は逃げるように部屋に向かいました。先輩は

「あの時おかしいって感じたよ。オレ横目で見たんだよエレベーターの中。女は中で立ってて出る気配なかったよ。5階までしかないのに」

先輩は恐怖を感じつつ部屋に戻りました。
この恐怖を消すためにテレビを見始めたんですけど、少し経って

ドスッ

と先輩の肩にあごを乗せてきたらしいです。アロハシャツの女が。
振り返ると何もいなかった。

その後先輩はすぐに引っ越したのですが、その女は追ってきてた。

「オレは極力あいつと会う確立を減らす努力をしてるよ」

まず、夢中ならない事だそうです。特に家の中では。
だからテレビやパソコンにタオルを掛けてる。

先輩はエレベーターであいつが乗ってきて動揺したんですが、何でそんなに動揺しちゃったのか。
女が何気なく乗ってきた時、喉にタンがからまったような声で

「ゴ、ゴポ……一緒にいて」

と言われちゃったんです。
俺、建築関係の仕事やってんだけれども、先日、岩手県のとある古いお寺を解体することになったんだわ。今は利用者もないお寺ね。
んでお寺ぶっ壊してると、同僚が俺を呼ぶのね。「○○、ちょっと来て」と。
俺が行くと、同僚の足元に黒ずんだ長い木箱が置いてあったんだわ。

「何これ?」

「いや、何かなと思って……本堂の奥の密閉された部屋に置いてあったんだけど、ちょっと管理してる業者さんに電話してみるわ」

木箱の大きさは2メートルくらいかなぁ。相当古い物みたいで、多分木が腐ってたんじゃないかな。
表に白い紙が貼り付けられて何か書いてあるんだわ。
凡字のような物も見えて相当昔の字と言う事はわかったけど、もう紙もボロボロで何書いてるかほとんどわからない。
かろうじて読み取れたのは、

「大正? 年? 七月? ノ呪法ヲモッテ、両面スクナヲ? 二封ズ」

的な事が書いてあったんだ。
木箱には釘が打ち付けられてて開ける訳にもいかず、業者さんも「明日、昔の住職に聞いてみる」と言ってたんで、その日は木箱を近くのプレハブに置いておく事にしたんだわ。

んで翌日。解体作業現場に着く前に業者から電話がかかってきて、

「あの木箱ですけどねぇ。元住職が絶対に開けるな! って凄い剣幕なんですよ……なんでも自分が引き取るって言ってるので、よろしくお願いします」

俺は念のため、現場に着く前に現場監督に木箱の事を電話しておこうと思い、

「あの〜昨日の木箱の事ですけど」

「ああ、あれ! お宅で雇ってる中国人(留学生)のバイト作業員2人いるでしょ? そいつが勝手に開けよったんですわ! とにかく早く来てください」
嫌な予感がして現場へと急いだ。プレハブの周りに5〜6人の人だかり。例のバイト中国人2人が放心状態でプレハブの前に座っている。

「こいつがね、昨日の夜中に仲間と一緒に面白半分で開けよったらしいんですよ。で、問題は中身なんですけどね……ちょっと見てもらえます?」

単刀直入に言うと、両手をボクサーの様に構えた人間のミイラらしき物が入っていた。
ただ異様だったのは、頭が2つ。シャム双生児? みたいな奇形児がいるじゃない。多分ああいう奇形の人か、作り物なんじゃないかと思ったんだが……。

「これ見てね、ショック受けたんか何か知りませんけどね、この2人何にも喋らないんですよ」

中国人2人は俺らがいくら問いかけても放心状態でボーっとしていた(日本語はかなり話せるのに)。

あと言い忘れたけど、そのミイラは「頭が両側に2つくっついてて、腕が左右2本ずつ、足は通常通り2本」という異様な形態だったのね。俺もネットや掲示板とかで色んな奇形の写真見たことあったんで、そりゃビックリしたけど「あぁ、奇形か作りもんだろうな」と思ったわけね。

んで、例の中国人2人は一応病院に車で送る事になって、警察への連絡はどうしようかって話をしてた時に、元住職(80歳超えてる)が息子さんが運転する車で来た。
開口一番、

「空けたんか! 空けたんかこの馬鹿たれが! しまい、空けたらしまいじゃ……」
<後日談>

すんません。直前になって何か「やはり直接会って話すのは〜」とか言われたんで、元住職の息子さんから「じゃあ電話でなら、話せるとこまでですけど」という条件の元、詳しい話が聞けました。
時間にして30分くらい結構話してもらったんですけどね。なかなか話好きなオジサンでした。要点を主にかいつまんで書きます。
息子「ごめんねぇ。オヤジに念押されちゃって、本当は電話もヤバイんだけど」

俺「いえ、こっちこそ無理言いまして。アレって結局何なんですか?」

息子「アレは大正時代に見世物小屋に出されてた奇形の人間です」

俺「じゃあ、当時あの結合した状態で生きていたんですか? シャム双生児みたいな?」

息子「そうです。生まれて数年は岩手のとある部落で暮らしてたみたいだけど、生活に窮した親が人買いに売っちゃったらしくて。それで見世物小屋に流れたみたいですね」

俺「そうですか……でもなぜあんなミイラの様な状態に?」

息子「正確に言えば、即身仏ですけどね」

俺「即身仏って事は、自ら進んでああなったんですか?」

息子「……君、この事誰かに話すでしょ?」
俺「正直に言えば、話したいです」

息子「良いよ君、正直で(笑)。まぁ私も全て話すつもりはないけどね……アレはね、無理やりああされたんだよ。当時、今で言うとんでもないカルト教団がいてね。教団の名前は勘弁してよ。今もひっそり活動してると思うんで」

俺「聞けば誰でも、ああ、あの教団って分りますか?」

息子「知らない知らない(笑)。極秘中の極秘、本当の邪教だからね」

俺「そうですか」

息子「んで、どうも最初からそのシャム双生児が生き残る様に、天獄は細工したらしいんだ。他の奇形に刃物か何かで致命傷を負わせ、行き絶え絶えの状態で放り込んだわけ。奇形と言ってもアシュラ像みたいな外見だからね。その神々しさ(禍々しさ?)に天獄は惹かれたんじゃないかな」

俺「なるほど」

息子「で、生き残ったのは良いけど、天獄にとっちゃ道具に過ぎないわけだからすぐさま別の部屋に1人で閉じ込められて、餓死だよね。そして防腐処理を施され、即身仏に。この前オヤジの言ってたリョウメンスクナの完成ってわけ」

俺「リョウメンスクナって何ですか?」

神話の時代に近いほどの大昔に、リョウメンスクナという2つの顔、4本の手をもつ怪物がいたという伝説にちなんで、例のシャム双生児をそう呼ぶ事にしたと言っていた。

俺「……そうですか」
息子「そのリョウメンスクナをね、天獄は教団の本尊にしたわけよ。呪仏(じゅぶつ)としてね。他人を呪い殺せる、下手したらもっと大勢の人を呪い殺せるかも知れない、とんでもない呪仏を作った、と少なくとも天獄は信じてたわけ」

俺「その呪いの対象は?」

息子「……国家だと、オヤジは言っていた」

俺「日本そのものですか? 頭イカレてるじゃないですか、その天獄って」

息子「イカレたんだろうねぇ。でもね、呪いの効力はそれだけじゃないんだ。リョウメンスクナの腹の中にある物を入れてね……」

俺「何です?」

息子「古代人の骨だよ。大和朝廷とかに滅ぼされた『まつろわぬ民』いわゆる朝廷から見た反逆者だね。逆賊。その古代人の骨の粉末を腹に入れて……」

俺「そんなものどこで手に入れて!?」

息子「君もTVや新聞とかで見たことあるだろう? 古代の遺跡や墓が発掘された時、発掘作業する人たちがいるじゃない。当時はその辺の警備とか甘かったらしいからね。そういう所から主に盗ってきたらしいよ」

俺「にわかには信じがたい話ですよね」

息子「だろう? 私もそう思ったよ。でもね、大正時代に主に起こった災害がこれだけあるんだよ」
1914(大正3)年:桜島の大噴火(負傷者9600人)、秋田の大地震(死者94人)、方城炭鉱の爆発(死者687人)。
1916(大正5)年:函館の大火事。
1917(大正6)年:東日本の大水害(死者1300人)、桐野炭鉱の爆発(死者361人)。
1922(大正11)年:親不知のナダレで列車事故(死者130人)。
そして1923年(大正12年)9月1日:関東大震災、死者・行方不明14万2千8百名。

俺「それが何か?」

息子「全てリョウメンスクナが移動した地域だそうだ」

俺「そんな! 教団支部ってそんな各地にあったんですか? と言うか偶然でしょう(流石に笑った)」

息子「俺も馬鹿な話だと思うよ。で、大正時代の最悪最大の災害、関東大震災の日ね。この日、地震が起こる直前に天獄が死んでる」

俺「死んだ?」

息子「自殺、と聞いたけどね。純粋な日本人ではなかったと言う噂もあるらしいが」

俺「どうやって死んだんですか?」

息子「日本刀で喉をかっ斬ってね。リョウメンスクナの前で。それで血文字で遺書があって……」

俺「なんて書いてあったんですか?」


『日 本 滅 ブ ベ    シ』


俺「……それが、関東大震災が起こる直前なんですよね?」
息子「そうだね」

俺「偶然ですよね?」

息子「偶然だろうね」

俺「その時、リョウメンスクナと天獄はどこに?」

息子「震源に近い相模湾沿岸の近辺だったそうだ」

俺「……その後、どういう経由でリョウメンスクナは岩手のあのお寺に?」

息子「そればっかりはオヤジは話してくれなかった」

俺「あの時、住職さんに『なぜ京都のお寺に輸送しなかったんだ!』みたいな事を言われてましたが、あれは?」

息子「あっ、聞いてたの。もう30年前くらいだけどね、私もオヤジの後継いで坊主になる予定だったんだよ。その時に俺の怠慢というか手違いでね、その後、あの寺もずっと放置されてたし……話せることはこれくらいだね」

俺「そうですか、今リョウメンスクナはどこに?」

息子「それは知らない。と言うか、ここ数日オヤジと連絡がつかないんだ。アレを持って帰って以来、妙な車に後つけられたりしたらしくてね」

俺「そうですか。でも全部は話さないと言われたんですけど、なぜここまで詳しく教えてくれたんですか?」

息子「オヤジがあの時言ったろう? 可哀想だけど君たち長生きできないよってね」

俺「……」

息子「じゃあこの辺で。もう電話しないでね」

俺「……ありがとうございました」
俺は以前、ビデオカメラの仕事をやってたんだ。
ローカルだったけど、ロケハン組んで番組作ったりしてね。結構色々な番組を作ってたんだ。
そんな仕事をしてたある日、心霊番組を作ることになったんだ。

よくさ、心霊番組の中で突然ビデオカメラが止まったとか、カメラのシャッターが下りないとか、照明の玉が破裂したとか、そんなのがテレビでやるときあるじゃない。
視聴者の中で、あれをやらせだと思ってる人が多いと思う。そのことで言わせてもらう。
半分がやらせ。うん。でもね、半分は確かに発生してるんだ。あれは起こりうる。何故だか知らないけど、本当に起こる。
みんなは信じていないだろうけど、俺は半分は信じるよ。

現に、俺はその事態に見舞われたことがあるからね……。

あれは、そう、その心霊番組のロケをしていた時だった。
ローカルだからね、そんなに大した番組は作れない。霊能力者なんて呼ばない。
ただ、心霊スポットと言われている場所にタレント2人を歩かせてポラで写真を撮ったり、固定カメラで撮りっ放しにした後で映像を解析して何が映ってるか? なんてことをやる番組だったんだ。

その心霊スポットはどこなのか?
これは言っておく。絶対に教えない。みんなのために教えない。
ただ一言だけ、なだらかな丘を登った先にある、もう使われていないトンネル。
これ以上は教えられないんだ。いや、知らないほうがいい。

さて、そんな場所で心霊番組のロケをすることになったんだ。
そして初めて体験したんだ。前に書いたような出来事。そう、視聴者がやらせだろうと思う出来事のことだ。
ビデオが回らない、シャッターが下りない。うん、実際にあった。
これは放送した。番組を盛り上げるためにね。
ただし、放送できない事態も一つ発生した。

音声を担当していた女の子のピアスがなぜかいきなり変形したんだ。
そして変形したピアスが耳に刺さり、女の子が流血、という事態まで起きた。
当然、霊能力者なんて付いていない。体のいいアドバイスも何も無い。
でもね、決行したんだ。その流血した女の子がやれるって言ったからね。

まぁ機材のトラブルも他にいくつかあったが、なんとか素材を作っていった。
そして例のトンネルへ向かう道と呼べないような道での撮影。
トンネルへ向かうタレント2人の後ろ姿を撮るシーンになった。
でもそんなに重要なシーンじゃないんだ。場面の繋ぎみたいなもんを撮りたかっただけなんだ。

俺はカメラを構えた。たかだか数秒のシーンだった。
トンネルへ吸い込まれるように向かうタレント2人の後姿。
ただ異様だった。カメラ越しでさえ異様だった。
あの2人、これから死にに行くんじゃねぇのかな……なんてとんでもなく不謹慎なことも考えてしまった。そんなワンシーンだった。

そして撮影はトンネル内部へと続く。
トンネルの中は静かだった。本当に静かだった。それはそうだな、だって誰もいないんだからね。うん。
逆に、俺がこんな場所でカメラを構えているのが不自然だ。
そのトンネル、出口はすでに潰れていて先は行き止まりになっていた。
とりあえず行き止まりまで行き、そこから入り口まで帰ってくるシーン。
この頃はだいぶ慣れてきたのか、全員が普段とあまり変わらない仕事ぶりを発揮していた。
そして、ロケは無事に入り口まで帰ってきた。
特に何も無く、トンネル内の撮影は終了。一切の機材トラブルは発生していない。

その後、少しの間休憩をとることになったんだ。

俺はカメラを持って近くに座り込んだ。

ビデオカメラってのは少々面倒でね、空いた時間にちゃんと撮れてるか? というテープチェックをしなきゃならないんだ。うん。
もうこの場所にもだいぶ慣れてきたな、そう思った。しかし甘かった。
たぶん俺だけじゃない。みんな甘かったんだ。俺はテープチェックをいつものようにしていた。

冒頭、説明、移動、トンネル前の丘、道なき道、トンネル前、トンネル内、トンネル帰還……ざっと早送り気味で見ていた。うん。見ていたんだ。
機材がおかしくなったシーン。やっぱり撮れていない。ちょうどそのシーンはトンネル前の丘で発生していた。

どれくらいからカメラを回したんだっけ。
軽い気持ちでそのままテープを回して見たんだ。そしたらちょうどあのシーンだった。
道なき道、そしてトンネルへ向かうシーン。
道なき道からトンネルへ向かうシーンを見ていた俺。
その俺はその場でそのシーンをテープから消去した。うん、消去したんだ。
確かに俺はトンネルへ向かうタレント2人の後ろ姿を撮った。うん、間違いない。それはテープには入っていた。
確実にタレント2人はあの時は正常に見えていた。いや、生きた人間に見えていた。間違いない。うん。間違いないんだ。

カメラが止まってから再び回りだしたシーン。うん、道なき道からトンネルへ向かうシーンだ。
トンネルへ向かうタレント2人。あの2人、確かにあの瞬間に死んでいた。

映ってないんだ、タレントが。いや正確に言うと頭が無いんだ。
なんだか言葉にして表すととても陳腐で申し訳ないんだけど、頭が無かった。
頭がない人間が2人並んで手を繋いでトンネルへ向かって歩くシーン。
変な表現なんだけど、これがとても自然でたまらなかったんだ。
全然気持ち悪くなかった。むしろ、なんていうか奇麗だった。

俺は思ったんだ。本当はトンネルなんかじゃなかったのかも。
トンネルへ向かうまで、俺たちは何かに邪魔をされたんだと思うんだ。
機材がいきなり異常をきたし始めた場所は? 音声のピアスが突然変形して流血した場所は? 奇麗な首の無いタレントが歩いた場所は?
確実にトンネルじゃあなかった。トンネル内は悪くなかったんだ。逆にトンネルに入って俺たちは落ち着いた。
じゃあ本当に危ない場所は……?

その後、俺はめっちゃ怒られた。だって一つのシーンがカットになっちゃったんだしね、うん。でもまぁあれは仕方なかったと俺は思う。
ちなみにこの話はあのロケにいた人には誰も話してないんだ。
でも気づいたバカがいた。本当に危ない場所ってトンネルなんかじゃなくねぇの? ってね。

そのロケが始まる前に俺は仕事を変わったから、その先の話は詳しくは知らない。
ただ、どうやらその場所でのロケは決行した、という話を昔の仕事仲間から聞いた。
そしてそいつ曰く、そのロケで作られた番組は2年以上経った今でも放送されてないらしい。
建築法だか何だかで5階(6階かも)以上の建物にはエレベーターを設置しないといかんらしい。
だから俺が前住んでいた高速沿いのマンションにも、当然ながらエレベーターが一つあった。

六階に住んでいた俺が階段を使うことは全くといっていいほどなかった。まあ、多分誰もがそうだろう。
来る日も来る日もエレベーターのお世話になった。階段は下りるならともかく昇るのはなかなかツライ。
だがツライのは分かっていても、今の俺は専ら階段しか使わない。

大学の講義がない平日の昼頃、俺はコンビニでメシを買ってこようと部屋を出た。

1階に下りるのには当然エレベーターを使う。
エレベーターは最上階の8階に止まっていて、今まさに誰かが乗るか降りるかしているところのようだった。
俺は階下のボタンを押し、エレベーターが下りてくるのを待った。

開いたエレベーターのドアの向こうには中年のおばさんが一人いた。ちょくちょく見かける人だったから、多分8階の住人だったんだろう。
軽く会釈してエレベーターに乗り込む。1階のボタンは既に押されている。
4階で一度エレベーターが止まり、運送屋の兄ちゃんが乗ってきた。3人とも仲良く目的の階は1階だ。

だが。
エレベーターは唐突に3階と2階の間で止まってしまう。
一瞬軽いGが体を押さえつけてきた。俺を含めた室内の3人は3人とも顔を見合わせた。

何だ。故障だろうか。
停電ではないようだ。エレベーター内の明かりには異常がない。

「どう……したんすかね」

俺がぼそりと呟く。おばさんも運送屋も首を傾げる。

暫く待っても動く気配がない。
と、運送屋が真っ先に行動した。彼は内線ボタンを押した。
しかし応答がない。嘆息する運送屋。

「一体どうなってんでしょう」

運送屋の疑問は俺の疑問でもあった。
多分数字にしてみれば大した時間じゃなかった筈だ。沈黙は3分にも満たないくらいだったろう。
それでも漠然とした不安と焦りを掻き立てるには十分な時間だった。

何となくみんなそわそわし始めた頃、エレベーターが急に稼動を再開した。
おばさんが短くわっと声を上げる。俺も突然なんでちょっと驚いた。

しかし、だ。
押しているのは1階のボタンだけだというのに、どういうわけか下には向かわない。
エレベーターは上に進行していた。

すぅっと4階を抜け、5階、6階……7階で止まり、がらッとドアが開いた。
俺は訝しげに開いたドアを見る。全く何なんだ。一体なんだっていうんだこれは。

「なんか不安定みたいだから」

おばさんがエレベーターを降りながら言った。

「なんか不安定みたいだから、階段で降りる方がいいと思いますよ。また何が起こるか分からないし」

「そりゃそうですね」

と、運送屋もエレベーターを降りた。

当然だ。全くもっておばさんの言うとおりだ。
今は運良く外へ出られる状態だが、次は缶詰にされるかもしれない。下手をすれば動作不良が原因で怪我をする可能性もある。そんなのはごめんだ。
俺もこの信用できないエレベーターを使う気などはなく、二人と一緒に降りようと思っていた。

いや、待て。
何かがおかしい気がする。

エレベーターの向こうに見える風景は、確かにマンションの七階のそれである。
だが……やけに暗い。
電気が一つも点いていない、明かりがないのだ。通路の奥が視認できるかできないかというくらい暗い。

やはり停電か? そう思って振り返ってみると、エレベーターの中だけは場違いなように明かりが灯っている。
そうだ、動作に異常があるとはいえエレベーターは一応は稼動している。停電なわけはない。

どうも何か変だ。
違和感を抱きつつ、俺はふと七階から覗ける外の光景に目をやってみた。

なんだこれは。空が赤い。

朝焼けか、夕焼けか? だが今はそんな時刻ではない。
太陽も雲も何もない空だった。なんだかぞくりとするくらい鮮烈な赤。

今度は視線を地に下ろしてみる。
真っ暗、いや真っ黒だった。

高速やビルの輪郭を示すシルエット。それだけしか見えない。
マンションと同じく一切明かりがない。

しかも、普段は嫌というほど耳にする高速を通る車の走行音が全くしない。
無音だ。何も聞こえない。それに動くものが見当たらない。

上手くいえないが、「生きている」匂いが眼前の風景から全くしなかった。
ただ空だけがやけに赤い、赤と黒の世界。

今一度振り返る。
そんな中、やはりエレベーターだけは相変わらず明るく灯っていた。

わずかな時間考え込んでいたら、エレベーターのドアが閉まりそうになった。
待て、どうする。降りるべきか、それとも留まるべきか。


今度は特に不審な動作もなく、エレベーターは大人しく1階まで直行した。

開いたドアの向こうはいつもの1階だった。人が歩き、車が走る。生活の音。外は昼間。見慣れた日常。
安堵した。もう大丈夫だ。俺は直感的にそう思ってエレベーターを降りた。

気持ちを落ち着けた後、あの二人のことが気になった。俺は階段の前で二人が降りてくるのを待った。
しかし、待てども待てども誰も降りてこない。
15分ほど経っても誰も降りてこなかった。階段を下りる程度でここまで時間が掛かるのはおかしい。
俺はめちゃくちゃ怖くなった。
外へ出た。何となくその場にいたくなかった。

その日以来、俺はエレベーターに乗りたくても乗れない体質になった。
今は別のマンションに引越し、昇降には何処に行っても階段を使っている。

階段なら「地続き」だからあっちの世界に行ってしまう心配はない。
だがエレベーターは違う。あれは異界への扉なんだ。少なくとも俺はそう思っている。

もうエレベーターなんかには絶対に乗りたくない。
22才の時の出来事。当時俺は石◯井公園に住んでいた。
7月も終わろうかという良く晴れた日曜の朝、大◯学園にいる悪友がいきなり青ざめた顔で俺の部屋に飛び込んで来た。
そして「今すぐ一緒にアパートまで来てくれ」と懇願するではないか。

こちらの問い掛けには一切答えずに、掴んだ俺の手首を強く握り締めて来た。
何だか担がれている気もしたが結局強引さに負けアパートまで行ってみた。

そこは木造2階建、共同玄関のありふれた作りだった。
一体やつは何をびびっているのか、俺の背中に張り付いたまま動こうとしない。
かまわず玄関に一歩入った瞬間、嫌な腐敗臭が鼻から脳味噌に抜けた。
それまでの人生で一度も体験したことがないなんとも形容し難い臭いだったが、俺の本能が「これはヤバイ」と叫んでいた。

はっきりいってもう目の前の急な階段を登るのは嫌だった。しかし振り向くと悪友のすがるような目がこちらを見返して来た。
しょうがないので糞度胸を決め階段を登り切ると、右手にある悪友の部屋のドアを開けた。
部屋の中は普段生活している状態そのままだった。ただ例の臭いはますますその濃度を増し躯全体が包み込まれる様だった……。

俺と悪友は部屋へ飛び込むと、急いでドアを閉めた。
俺はたまらず問いただした。

「おい、何なんだこの臭いは?」

「……」

「もういいかげん教えてくれてもいいだろう?」

相変わらず怯えた顔の悪友は黙って壁を指差した。

「隣の部屋を見れば分かる」

「他人の部屋を勝手に覗いちゃダメだろう」
「いいから」

言われてみれば階段の方が部屋の中より臭いが強かったが……。

再び意を決した俺は、背中に悪友を従えたまま音を殺してそろりそろりと廊下を進んだ。
それにしてもなんて酷い臭いなんだ。おまけに静かだ。静か過ぎる。
やっとの思いでドアの前までたどり着いた。

お互い目配せをしノブに手をかけようとしたその時、微かにドアが開いているのがわかった。
俺は隙間に目を寄せ中を覗いた。閉めきったカーテン、明かりが点いたままの白熱球、部屋の真ん中には布団が敷きっ放しだ。
でも隙間が細すぎてそれ以上は見えない。俺はそっとドアを押した。

布団の上に白いTシャツ姿の若い男が寝ていた。ピクリとも動かない。顔はまるで土色だ。
文章にすると長いがこれらの光景を一瞬で理解した。
もちろん男は死んでいた。死してなお己の存在を主張するかの様に異臭を放っていたのだ。

俺と悪友は逃げる様にそのアパートを飛び出すと◯ノ宮に向かった。
そこにはもう一人の親友がいて、何かというとそこを根城にして遊び呆けていたからだ。
事の顛末はこうだ。

大◯学園の悪友が、ある時隣の部屋から変な臭いがしているのに気付いた。
最初は我慢していたが、日に日に酷くなるので日曜日の朝6時過ぎに注意しようと隣の部屋のドアを叩いたそうだ。
一向に返事がないのでノブを回したらドアが開いてしまった。そして死体に遭遇し、あわてて俺のアパートまで飛んで来たと……。

その後俺達三人はパチやボーリングをしながら一週間程◯ノ宮のアパートで自堕落な生活を送った。
やがて悪友は荷物を取りに大◯学園のアパートに帰ると言い出した。
正直俺はあの臭いが記憶から離れず、もう一度あそこに行くのはごめんだった。そこで適当な理由を付けて一人石◯井公園のアパートに帰った。
仕方なく残った二人で荷物を取りに戻ったそうだが、あの強烈な臭いは変わらず残っていたみたいだ。
礫ヶ沢の礫鬼(つぶておに)の話をしようと思う。

うちからそう離れてない山の中の小さな川なんだけど、そう言う名前のところがあるんだ。
その名前の由来というのが昔話からなんだけど、その昔話に出てくる鬼の礫というのが変わった石で、大きさはまちまちなんだけど鬼が握った後のような模様がついている。
で、確かにそれは石なんだけど、ぶつけられても痛くない。
多分粘土かなんかじゃなかろうかと思うんだけど、握ってみると普通の石くらい硬いのよ。
その鬼の礫が礫ヶ沢を探すとたまーに見つかったりするんだ。

ただ一つだけ、それをうちに持ち帰ってはいけないという決まりがあって、

「鬼の礫は向こう岸」

と言って川に投げ込まなければならないんだ。
その理由をばあちゃんに聞くと「昔話みたいに鬼がやってくるから」そう言うんだよな。
当然ほんとにー? とか言う訳なんだけど、その度にばあちゃんの子供の頃の話を聞かされる訳よ。

ばあちゃんの子供の頃の話というのが、「つぶておに」という鬼ごっこみたいな遊びをしたときの話でさ。
簡単に言えば、鬼が石を持って鬼じゃないヤツにぶつける、ぶつけられたらそいつが鬼になって石を持って追いかけるというもの。
ちょっと変わってるのは、鬼が使う石は鬼の礫で、その石の交換は出来ない。だからぶつけ損なうとそれを探している間かくれんぼの様を呈してくる。
そしてここからが大事なんだけど、遊び終わって帰るときはその石を川に投げ込み、

「鬼の礫は向こう岸」

と叫ばなければならないということ。か
これは終わりの合図にもなっていたと思うんだけど、実はそれだけじゃないらしい。

前置きが長くなったけど、ばあちゃんの子供の頃の話。
ばあちゃんは近所の子供達と「つぶておに」で遊んでいた。
その日、ばあちゃんは家の都合で先に帰ったんだけど、その残りの子供達が遅くまで遊んでいたのね。
日が暮れた後でそいつ等は帰ってきたんだけど、その晩凄いことが起こったらしいんだ。

村のある家で一家惨殺事件が起こったのよ。
爺、婆、お袋が包丁で滅多刺しにされた姿で翌朝発見されてさ(親父は出稼ぎ中でいなかった)。イヤなことに、その死体は肝が食い荒らされていた。
そんで、そこの子供の姿はなかったモンだから大騒ぎだったらしい。せめて子供だけでも、ということだったんだろうね。

ところがさ、それを聞いて青ざめたのが一緒に遊んでいた子供達で

「実は大変なことをした」

と、ばあちゃんにこっそり話した訳よ。
最後に鬼になったのが例の家の子供で、礫を探している間にみんな帰っちゃったらしいのよ。

で、ここからはばあちゃんの推測なんだけど

「暗くなって誰もいない河原で石を見つけたヤツは、そのまま石を持って泣き帰ったんじゃないか」

そう思ったわけ。
ところが「鬼の礫は〜」をしていないから鬼がついてきたんじゃ無かろうか、と。

子供心に心配になったばあちゃんは、村のお寺のお坊さんに相談に行ったんだって。
そしたら婆ちゃん、坊さんに怒られる怒られる。なんか一生分怒られたかと思うくらい怒られたんだって。

「今思えば、やったのは自分じゃないから理不尽この上ない」

そう笑って話してくれたけど、とにかく凄い剣幕だったんだって。
で、坊さんは村の駐在さんと村長さんを呼んで何やら話し込んでたんだけど、ばあちゃんは子供だから蚊帳の外。
その後、大人達がいろいろしている間にその子供が見つかったそうな。

ばあちゃんは心配になって会いに行ったら、縄でぐるぐる巻きにされて駐在さんに引きずられている。
ヤツの表情は凄い面変わりしていて、まるで獣のような表情だったんだって。
そしてそのとき、ばあちゃんはしっかり見たんだそうだ。

子供の手に鬼の礫があるのを。子供の影に角が生えていたことを……。

それ以来その事件は村の忌み事となって話題にはあがらないし、「つぶておに」もしてはいけない遊びになってしまったということ。
まあ、ばあちゃん達自体が怖くてもうする気はなかったみたいだから、あえて禁止するまでもなかったと言ってるけど。

――以上がばあちゃんの話。実はここまでが前ふりだったりする。

今年の夏、うちの実家に大学の友達3人が遊びに来たんだ。
まあ、キャンプをするのに手頃な河原はないか、ってことで礫ヶ沢を推薦したんだけどね。
それで河原で2泊ほどして帰ったんだけど、そのとき「つぶておに」の話をした訳よ。

そのとき一緒にいた友人をA、B、Cとすると、オカルト好きのAが早速やってみないか、そう言うんだ。
けど婆ちゃんの真剣な表情を見ている俺は断固拒否。
BとCはそういった方面には全く興味がないから「イヤがる奴がいるならあえてするまでもない」ということでその場は終わりになったんだ。
で、夏休みも終わり大学が始まって秋口になると、気が付くとAを学校で見なくなったんだ。
おかしいなーと思ってBやCとも話していたんだけど、そのときBが思い出したように言ったんだ。

「そういえば、やつ(A)、先々週あたりお前の実家行くって言ってたぞ」

「え? なんで?」

「なんでもオカルト研の連中に例の礫の話をしたら盛り上がったんだって」

それを聞いた俺はイヤな予感に包まれたんだ。
オカルト研の連中に話を聞いてみようと思ったんだが、奴らの活動場所が分からない。
するとCもイヤなことを言い出すんだ。

「そういえば俺の知り合いにオカ研がいるんだけど、そいつも最近見ないな」

益々イヤな予感が強くなる俺。
正直関わり合いになりたくなかったんだけど、このままってのも気分が悪いのでとにかくAの家に行ってみよう、そういうことになったんだ。

Aのアパートに行く途中、近くのコンビニに寄ったら偶然Aとバッタリあった。
始め、何かやたら挙動不審な奴がいるなと思ったら、それは酷くおびえたAだったんだ。

俺たちがAに声をかけると、Aは凄いおびえた表情で逃げようとした。
が、俺の顔を見たとたん、Aは凄い勢いでまくし立てたんだ。いや正直もう何を言っているかも分からなかったんだけど。
とにかく凄い怯えようで、俺たちはAのアパートに連れ込まれた。
Aの話を要約するとこんな感じ。

あの後、礫ヶ沢で「つぶておに」をオカルト研でやりにいった。
実際鬼の礫を見つけて「つぶておに」をやってみると、不思議なことに確かに石なのに痛くない。

その後、「鬼の礫〜」をやらずに石を持って帰って調べてみようということになって、石を持ち帰った。
ところがその帰り、夜の国道を走っているときに異変が始まった。

礫ヶ沢に行ったオカルト研はA、D(Cの知人)、E(教育学部の地学研究室)の3人。
石を持ち帰ったのはE。
Eは普段はやたらおしゃべりなのに、帰りの道中では殆ど口をきかない。
Aは、まあ疲れているんだろうな、くらいに思っていた。

3人は帰りにコンビニに寄って飲み物なんかを補充していると、Eが飲み物の他にカッターなんかを買っている。
そのときは、おかしなヤツだな、程度にしか思わなかったんだ。

コンビニを出るとき、Eの影に角が生えているようにAには見えた。
ギョッとして見直すと、コンビニのガラスの影の具合でそう見えただけのようだ。

(「つぶておに」の話を聞いた後だから神経質になっているんだ)

そう思い直して車に向かったとき、車からDの悲鳴が聞こえた。
それはEがカッターでDに斬りつけたところだった。

Aは後ろからEを羽交い締めにして

「どうしたんだ!」

と叫ぶとEの首がぐるっと回り(そう見えたらしい)獣のような目でイヤな笑いをしたそうだ。
次の瞬間、Aは太ももをEのカッターで斬りつけられて、その痛みでEを放してしまった。
Dはその間に車に乗り込み、ドアも閉めずにそのまま車で逃走。
Eは開きかけのドアに捕まり、車に引きずられていってしまったそうだ。
一人残されたAは恐怖に震えながらタクシーで家に帰ったそうだ。

後日、Aは大学で連中のことを聞く。
その日、Dの車は近くの陸橋で自爆事故、Dはそのときの怪我で入院中。Eはその日以来姿を見せていないとのこと。
Aはその話を聞いて、「次にEが来るのは自分のところじゃないか」そう思ってアパートに閉じこもっていた。

――と、Aの話はここまで。

ことの顛末を聞いた俺は実家に電話をかけて村の寺の名前を聞き、寺の住職に電話をかけようとした。
その間、Aはベッドの上で毛布にくるまってふるえていたのだが、突然悲鳴を上げた。

窓の外を見ると、むちゃくちゃ汚れた男がベランダから部屋の中を覗いていたんだ。
目つきが尋常でなく、イヤな笑い顔でぶつぶつ言っている。
その常軌を逸した姿を見たとき俺の背筋は冷たくなった。

男は手にした石でガラスを割ると、ゆっくりと部屋の中に入ってきた。
俺たちはしばし呆然としていたが、そこは男3人、カッターを振り回す男相手に椅子、ナベなどで立ち回った。
何とかその男を取り押さえた時にドアの外から警官の声がしたんだ。

(こんな怪しい風体の男がベランダをよじ登ったりしていれば通報もされるわな)

なぜか冷静に考えていた俺の脇ではAが失神してしまっていた。
俺たちが捕まえた男は案の定Eで、心神喪失状態でどうなるかは分からないとのこと。
Aは実家に帰って、その後のことは知らない。

寺の住職に電話をしたら、俺がこっぴどく叱られる羽目になった。
後は任せてもう関わるなと釘をさされた俺は、正直あんな大立ち回りを演じるのはイヤなので、住職の言葉通り事件に関してはもう触れないようにしている。たまにBとCで飲むときに少し話すくらいだ。

ただ、ひとつだけ気になっていることがあって……。
鬼の礫、その行方がどうなったか。

あのとき、Eを取り押さえたときに部屋で鬼の礫が転がったはずだが、警官がやってきたときには石の姿は見えなかった。いや、警察が押収していれば住職が何とかしているだろうけど。
もし誰かが持っているのなら、今でもそう考えると背筋が寒くなる。

礫ヶ沢の鬼の礫には気をつけるように。
数年前、ある一戸建てに住んでいたときの話です。
ある晩、私はとても奇妙な夢を見ました。

その住宅街にはいくつか公園があって、私の住んでいた家の近くにも1つ公園がありました。
そしてその公園の横には短いですがとても急な坂があったんです。
夢の中の私は、その急な坂をあろうことか自転車で上っていました。
前かごに当時通っていたそろばん塾の鞄を入れて立ち漕ぎで上っていると、ふいに後ろから歌声らしきものが聴こえてきました。

「黄色い傘が……」

よくは憶えていないのですが、確かそんな感じの内容だったと思います。幼い男の子の声で歌っているんです。

夢の中の私はその時、その坂にまつわるある怪談を思い出しました(ちなみに現実にはそんな怪談はありません)。
それは、

「その坂を赤い服を着て通ると後ろから歌声が聴こえてくる。その時振り返ってしまうと一生追いかけられる」

というものでした。

とっさに私は自分の服を見、それがお気に入りのくまさんの絵柄がたくさんついた「赤い」トレーナーであることに気づいたのです。
私は慌てて残り少なくなった坂を一気に上りきりました。
そして家に向かうべくそこから右折しようとした時、私はとうとう好奇心に負けて左肩越しに後ろを振り返ってしまったのです。それも2度も(自転車に乗っていたので、1度目に振り返った時にはよく見えなかったんです)。
後ろには白いTシャツに黒い中ズボンの男の子(顔は見えませんでしたが)。そして手にはなわとび。
そう、その男の子はなわとびを跳びながらついてきていたのです。

私はもの凄い勢いで自転車をとばしながら、終いに3度目振り向いてそれを見、恐ろしくなって家に飛び込むとガレージに自転車を突っ込み、鞄も何もそのままで停めてあった車の陰に身を潜めようとしたところで……。

――目が覚めました。
起きてからも心臓はバクバクいってるし、本当に目覚めの悪い夢でした。
でも、それで終わってくれていたのならよかったのです。

それから数日後、私はまた夢を見ました。
今度の舞台は私の家の中。私を除く家族全員が寝室として使っている8畳の和室でした。
私はその部屋の隣の部屋に何か用があって、和室の前を通りかかったんです。
すると、誰もいないはずの和室の中から声が聞こえてきたんです。何か……ぼそぼそと。

私は誰だろうと思って半開きになっていたスライド式の扉を開け中を覗き込みました。
ところが誰もいません。
おかしいなと思いつつ顔を引っ込めようとした時、私の視界に妙なものが映りました。

サッシと、サッシの前にある障子。その間に誰かいるみたいなんです。
向こう側から障子に指を押し当てているのが透けて見えるんですよね。
でも、そんな狭いところにヒトが入れるのか? と思ったとたん障子が開いて、間から知らない男の子がするりと出てきたのです。
目のくりっとした幼い男の子。その子は私に向かっていきなり、「僕は狼少年だ」と言うや否や、すごい勢いで追いかけてきたんです。
私はびっくりして慌てて逃げました。床を滑りそうになりながらも走りそのまま階段を下り……かけているところで、またしても目が覚めました。前と同じで、心臓の鼓動を早くさせて。

そして数日後、私はまた夢を見ました。
今度は男の子は私の部屋にいました。
ところが私は、その様子を今回に限って何故かカメラを通しているかのような視覚で見ているのです。
おかげでその夢では追いかけられることもなく、何となくよくわからないままに目が覚めました。

少しばかり奇妙に思った私は、母に今までに見た2つも含め、この夢の話をしました。
すると母は、

「その男の子ってさ、結局……」

と口を開きました。

「あんたの部屋まで追いかけてきたんだよね」

私は言葉を失ってその場に立ち尽くしてしまいました。
思い出したのです。夢の中とはいえ、あの坂にまつわる怪談を。

「その坂を赤い服を着て通ると後ろから歌声が聴こえてくる。その時振り返ってしまうと一生追いかけられる」
私は夢を見ていました。
昔から私は夢を見ている時に、たまに自分は今、夢を見ているんだと自覚する事がありました。

この時もそうです。何故か私は薄暗い無人駅に一人いました。
ずいぶん陰気臭いを夢だなぁと思いました。
すると、急に駅に精気の無い男の人の声でアナウンスが流れました。それは、

「まもなく、電車が来ます。その電車に乗るとあなたは恐い目に遇いますよ〜」

と意味不明なものでした。

まもなく駅に電車が入ってきました。
それは電車というより、よく遊園地などにあるお猿さん電車のようなもので、数人の顔色の悪い男女が一列に座っていました。

私はどうも変な夢だなと思いつつも、自分の夢がどれだけ自分自身に恐怖心を与えられるか試してみたくなり、その電車に乗る事に決めました。
本当に恐くて堪られなければ目を覚ませばいいと思ったからです。
私は、自分が夢を見ていると自覚している時に限って自由に夢から覚める事が出来ました。

私は電車の後ろから3番目の席に座りました。
辺りには生温かい空気が流れていて、本当に夢なのかと疑うぐらいリアルな臨場感がありました。

「出発します〜」

とアナウンスが流れ、電車は動き始めました。これから何が起こるのだろうと私は不安と期待でどきどきしていました。
電車はホームを出るとすぐにトンネルに入りました。紫色ぽっい明かりがトンネルの中を怪しく照らしていました。
私は思いました。
(このトンネルの景色は子供の頃に遊園地で乗ったスリラーカーの景色だ。この電車だってお猿さん電車だし、結局過去の私の記憶にある映像を持ってきているだけでちっとも恐くなんかないな)

とその時、またアナウンスが流れました。

「次は活けづくり〜活けづくりです」

活けづくり? 魚の? などと考えていると、急に後ろからけたたましい悲鳴が聞こえてきました。
振り向くと、電車の一番後ろに座っていた男の人の周りに、四人のぼろきれのような物をまとった小人がむらがっていました。
よく見ると男は刃物で体を裂かれ、本当に魚の活けづくりの様になっていました。

強烈な臭気が辺りをつつみ、耳が痛くなるほどの大声で男は悲鳴をあげつづけました。
男の体からは次々と内臓がとり出され血まみれの臓器が散らばっています。
私のすぐ後ろには髪の長い顔色の悪い女性が座っていましたが、彼女はすぐ後で大騒ぎしているのに黙って前を向いたまま気にもとめていない様子でした。
私はさすがに想像を超える展開に驚き、本当にこれは夢なのかと思い恐くなり、もう少し様子をみてから目を覚まそうと思いました。

気が付くと一番後ろの席の男はいなくなっていました。しかし赤黒い、血と肉の固まりのようなものは残っていました。
後ろの女性は相変わらず無表情に一点をみつめていました。
「次はえぐり出し〜えぐり出しです」

とアナウンスが流れました。

すると今度は二人の小人が現れ、ぎざぎざスプーンの様な物で後ろの女性の目をえぐり出し始めました。
さっきまで無表情だった彼女の顔は痛みの為ものすごい形相に変わり、私のすぐ後ろで鼓膜が破れるぐらい大きな声で悲鳴をあげました。
眼かから眼球が飛び出しています。血と汗の匂いがたまりません。

私は恐くなり震えながら前を向き、体をかがめていました。
ここらが潮時だと思いました。これ以上付き合いきれません。しかも順番からいくと次は3番目に座っている私の番です。
私は夢から覚めようとしましたが、自分には一体どんなアナウンスが流れるのだろうと思い、それを確認してからその場から逃げる事にしました。

「次は挽肉〜挽肉です〜」

とアナウンスが流れました。

最悪です。どうなるか容易に想像が出来たので、神経を集中させ夢から覚めようとしました。

(夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ)

いつもはこう強く念じる事で成功します。

急に「ウイーン」という機械の音が聞こえてきました。今度は小人が私の膝に乗り変な機械みたいな物を近づけてきました。
たぶん私をミンチにする道具だと思うと恐くなり、

(夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ)
と目を固くつぶり一生懸命に念じました。

「ウイーン」という音がだんだんと大きくなってきて顔に風圧を感じ、もうだめだと思った瞬間に静かになりました。

なんとか悪夢から抜け出す事ができました。全身汗でびしょびしょになっていて目からは涙が流れていました。
私は寝床から台所に向かい、水を大量に飲んだところでやっと落ち着いてきました。
恐ろしくリアルだったけど所詮は夢だったのだからと自分に言い聞かせました。

次の日、学校で会う友達全員にこの夢の話をしました。
でも皆は面白がるだけでした。所詮は夢だからです。

それから4年が過ぎました。大学生になった私はすっかりこの出来事を忘れバイトなんぞに勤しんでいました。
そしてある晩、急に始まったのです。

「次はえぐり出し〜えぐり出しです」

あの場面からでした。私はあっ、あの夢だとすぐに思い出しました。
すると前回と全く同じで二人の小人があの女性の眼球をえぐり出しています。
やばいと思い、

(夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ)

とすぐに念じ始めました。
今回はなかなか目が覚めません。

(夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ)

……今回はなかなか目が覚めません。
「次は挽肉〜挽肉です〜」

いよいよやばくなってきました。「ウイーン」と近づいてきます。

(夢よ覚めろ、覚めろ、覚めろ、覚めてくれ)

ふっと静かになりました。
どうやら何とか逃げられたと思い、目をあけようとしたその時

「また逃げるんですか〜次に来た時は最後ですよ〜」

とあのアナウンスの声がはっきりと聞こえました。

目を開けるとやはり、もう夢からは完全に覚めており自分の部屋にいました。
最後に聞いたアナウンスは絶対に夢ではありません。現実の世界で確かに聞きました。
私がいったい何をしたと言うのでしょうか?

それから現在までまだあの夢は見ていませんが、次に見た時にはきっと心臓麻痺か何かで死ぬと覚悟しています。
こっちの世界では心臓麻痺でも、あっちの世界は挽肉です……。
81 削除済
8年ほど前、オレが専門学校に通っていたころの話。

そのころは専門学校生で、学校でつるんでる仲間とよく心霊スポットに行ってた。
別に大好きって訳でもなくて、特に行くところもないしただドライブしてるだけでもつまんないので、適当な目的地として心霊スポットを選んでるってだけだった。
「うぉ〜怖ぇ〜」とかその場のノリで言ってはみるものの、別に怖いなんて思ったことは一度もなかった。

そんなある日、友達が車を買ったというのでその新車でドライブに行く事になった。

「またKダム行く?」

「もう心霊スポットはええよ〜。別に女の子おるわけじゃないし」

「行くとこないじゃん。米軍基地でも行こうか?」

あらかた近場の心霊スポットは行き尽くしたオレたちは、そんなことを話しながらドライブしていた。

「そういえば!」

と友達が話し始めた。

「YってとこにS峰ってとこあるらしいんじゃけど、そこなんか怖いらしいで」

「へぇ、どんないわくがあるん?」

聞くと、なんでもYって場所は縁結びの神様が祭られてる神社があるそうなんだが、ある女が好きな男への思いを願い続けたがついぞ叶わず、その神様を呪うという遺書を残して身を投げたところなんだそうな。

「ええじゃん! 行こうや!」

「でも場所がいまいちよう分からんわ。Yは分かるけどS峰って聞いた事ないよ」

「ええよ、コンビニで聞こ」
別に目的地に着けずとも、何か探すっていう目的でよかった。オレら流の遊び方。

Yは少し遠かったけれども、夜は道も空いててそんなに時間はかからなかった。
オレらは適当なコンビニを見つけてS峰を探すことにした。友達2人は売り物の地図を広げて、オレは店員に聞いてみた。

「すんません、ここらでS峰って知りません?」

「あぁS峰。ありますよ」

そう言って店員は詳しい行き方を教えてくれた。

「そこって神社あります?」

「あぁT神社でしょ? 今から行くんですか?」

「そうそう、なんか怖いらしいから……」

「怖いですよ。あそこは」

店員の口ぶりに興味を惹かれた。

「え? 店員さんも行ったことあるの?」

「ええ、絵馬でしょ?」

「絵馬?」

「ええ、絵馬の遺書」

「ナニそれ? 絵馬に遺書が書いてあるんですか?」

「そうですよ。右側のかけるとこの一番下の、右から3番目くらいかな? その一番奥。でももうさすがにないかな?」

「そこにあるの!?」

「ええ、オレは見たんですけどね。ま、今から行くんでしょ。もし見られなかったら何が書いてあったか教えますよ、大体覚えてるから。帰りもここ通るんでしょ?」
「そんなん見て大丈夫なん?」

「外しちゃダメらしいですよ。オレはびびって外せんかった。できたら外してみて下さいよ」

またまた〜、なんて店員と談笑していると

「おい、場所分かった?」

と、友達が地図をしまって話しかけてきた。

「おう、店員さんが教えてくれたわ。ついでにおもろい話も」

「ホンマ? 地図載ってなかったーや。分かったんなら行こうや」

「OK! OK! おもろい話したるけーの!」

ただで出るのは悪かったので缶コーヒーを一本買って店を後にした。
オレはさっき店員から聞いた話を、走る車の中でコーヒーを飲みながら友達に話した。

「それマジで? やばいんじゃないん?」

「まぁ外すまーや。見るだけならええんと」

「外したらどうなるか知りたいわ。○○ちゃん外してみてや」

「お前店員と同じ事言よるわ」

そんな話をしながら、店員に教えてもらった通り車を走らせた。

「お、アレじゃないん?」
神社らしきものが見えてきた。そこは結構山を上ったとこで、神社はちょうど頂上付近に建ってるって感じだった。その辺り一帯がたぶんS峰なんだと思う。
オレ達は車を停めて神社に入ったが、神社は思ったより奇麗でなんだか拍子抜けしてしまった。

「なんか心霊スポットって感じでもないのー」

「おぉ、これならW(近所の地名)の神社のがよっぽど怖いで」

「まぁ絵馬探してみようや」

絵馬がかけてある掲示板みたいなものはすぐに見つかった。幅2メートル弱くらいのものが2つ並んでいた。

「右側の一番下の右から2〜3番目……」

絵馬は掲示板全体にギッシリといった感じでかけられていたが、店員が言った箇所に目をやるとちょっとおかしい。

「あった?」

「いや、ないけど。何コレ?」

右側の掲示板、一番下の一番右。絵馬をかける釘の根元になんだか郵便ポストのようなロッカーのような、いやまるでビルの配線やらが入ってて、丸いとこを押して取手を出して開くやつみたいな(わかってもらえるかな)、そんなものが取り付けられていて蓋に開いた小さな穴を通って釘が打ち付けられていた。
その蓋の両端は耳みたいに取手が出してあって、それぞれ南京錠がしてあった。
「???」

「こん中に遺書が入っとるとか?」

「そうじゃ、きっとそうじゃ! うぉ〜これ怖い」

中に目的のそれが入っていると確信して妙にテンションがあがったオレらは、そのロッカーみたいな箱を外してみることにした。
箱は掲示板に釘で打ち付けられているだけだったので、みんなで引っ張れば外れそうな気がした。
最初に外にかかってる絵馬を全部外して、車から持ってきたマイナスドライバーで箱の打ち付けられている部分を持ち上げて、指が入るくらいの隙間になってからみんなで引っ張った。

バキッ! と音がして箱が外れた。

「うぉ! 外れた!」

中には明らかに他のものより古い、黒ずんだ絵馬が入っていた。
みんな最初は黙って見ていたが、オレは絵馬に顔を近づけよく見てみた。
何も書いてない……裏返してみると、字らしきものが書いてある。みんなも顔を近づけた。

「おい、火ぃ点けて。見えんわ」

友達がライターの火で絵馬を灯すと、

『大好きなYさん、大好きなYさん、祈ったのに、離れて行った、裏切られた、許さない』

「!!!」

みんな絶句した。これは怖い!

「うぉ〜〜! 怖ぇ〜〜〜〜!」
テンションがあがったオレは調子に乗ってオーバーリアクションをしてしまった。
手に持っていた絵馬がオレが振った手に引っかかってポーンと飛んで行った。

「あっ!」

カツンと音を立てて落ちる絵馬。オレは急いで拾い、すぐにもとの場所にかけた。

「……やべ」

「さすが○○ちゃん」

「いや、ホンマにわざとじゃないんよ。ちょっと調子乗ってもうて」

友達に言い訳をしてもしょうがないのだが、なんだか怖くてそんなことを言った。

「ヤバいんかね?」

「ま、迷信じゃろ。なんもないよ、こんなもん」

ちょっとビビり始めたオレに気を使ってくれる友達にちょっとホッとしたその瞬間、

「こりゃ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!」

ものすごい怒鳴り声! オレは腰を抜かしてそこにへたり込んでしまった。

「また冷やかしかと思ったら、まさか外しおるとは……こんの馬鹿もんがぁ!」

いきなり怒鳴ったオッサンが神社の人だってのはすぐに分かった。
いい歳こいて、こんなところ見つかるなんて情けない。警察呼ばれたらヤバイかも。

「すんません……」
みんな謝るフリして、逃げるタイミングを目くばせして計ってた。
するとオッサンは、

「外したか?」

「あ、あの……はい」

「箱外したんは見りゃ分かるわ! 絵馬じゃ! 絵馬は外しとらんじゃろうのぉ!」

「あの、ちょっとだけ、ほんのちょっと。すぐに戻しましたよ」

「……」

オッサンは押し黙って、フゥーッとため息をついた。

「誰なら? 外したんは」

「オレ、です」

「ちょっと来い」

「いや、ホンマにすいません、出来心で。箱も直しますから。ごめんなさい」

「えぇけ〜、来い言うとろうが!」

オッサンはいかにも神社の人って格好をしているのに、まくしたてる様子はまるでヤクザだった。
オレは仕方なく言うがままついて行った。
その時オレを置いて逃げようかどうしようか迷っていた友達の様子がとても憎らしかった。
結局友達2人もついてきて、オレらは神社の裏手の建物に連れてこられた。

「さてと」

オッサンは正座しているオレの前にしゃなりと座って、じっとオレの目を見た。
顔が怖くて目をそらしたかったが、そらしてはいけないような気がしてオレもオッサンの目をじっと見ていた。
しばらくして、

「あんたぁ、男前じゃの」

「は?」

「彼女はおるんかい」

「え? ええ一応」

「好きなんかいの」

「え? ええ、まぁ」

訳の分からない質問に困惑したが、なんとなく心配になって聞き返した。

「あの、彼女がなんかまずいことにでもなるんですか?」

「ん〜もしかしたら調子壊すかもしれん」

「えぇ? なんで?」

「あんたぁ、あそこまでしたんならあの絵馬が何か知っとるんじゃろ?」

「えぇ、噂で……」

「あの絵馬があそこにかかっとるうちはの、女も悪さはせん。決して安らかな訳ではないがの。外すととたんに悪さをするんじゃ。自殺したもんもおる」
「……」

オレは絶句した。

「オレらもヤバいんですか?」

後ろの友達2人が聞くと、

「ちょっと外れたくらいならあんたらは大丈夫じゃ。でもあんたはちょっと悪さされるかもしれん。あんたぁ男前なけー、もしかすると女を狙われるかもしれん」

「ちょ、ちょっと、どうすればいいんですか!?」

幽霊なんか信じない。そう信じていたオレはもう完全に霊の存在を肯定していた。

「あんたに影が見えん。女の所に飛んだのかもしれん。もしかしたらなんもないかもしれん。女が調子悪くなったら病院行く前にここに来い」

オッサンは棚からメモ用紙を取り出し、電話番号を書いてオレにくれた。

「ええか? 次悪さしたら警察突き出すけんの? わったか!?」

「ハイ!」

いい返事をして頭を下げて帰ろうとするオレらを呼び止めて、オッサンは工具一式を持ってきた。

「直して行け」

オレたちは外した箱の修理をやらされた。まぁ当然と言えば当然なんだが。
捲れた板をボンドでひっつけている途中、目の前で揺れる古びた絵馬が怖くてマジで帰りたかった。
絵馬に箱をそっと被せて釘を打ち直した。

「こりゃ、どうにかせんとのぅ」
オッサンが後でつぶやいた。

その日はなんだか大変なことをしたと思ったが、なんか実感がなかった。帰りの車の中でも、

「いや〜○○ちゃんはやる思うたよ、さすがじゃーや。うぉ怖ぇ〜〜ポーン! じゃもんの〜オレできんわ」

「いやマジでびびってもうたよ。でも正直オッサンのが怖かったけど」

「ホンマよ、なんやあれ、ヤクザか思うたーや」

緊張感などまるでなく、解放された安堵で逆にハイテンションだった。

「☆ちゃん(オレの彼女)も大丈夫よ、あんなぁ脅かすために言うたんじゃーや」

オレも、まぁないだろうと思っていた。

行きに立ち寄ったコンビニで、店員に絵馬を外したと報告して帰った。
店員はどうなったか聞いてきたが、何もなかったと言うとなぁ〜んだといった感じで笑っていた。

次の日、一応心配だったオレは彼女に電話をして体調を確認した。
そんなことを聞いてくるオレを彼女は不思議に思って何かあったのかと聞いてきたが、元気そうだったので次の日の休日に会う約束をして電話を切った。
その晩、彼女から電話があった。

「○○ちゃん? ごめん明日会えんかも」

「え? どした?」

ドキッとした。

「なんか風邪ひいたみたい。熱あるし、寒気もする。治ったらいいんじゃけどなんかひどくなりそうで、もしダメじゃったらごめんね」

オレは急に怖くなった。

「そう、あったかくして今日はもう寝ーや」

電話を切ってオレはすぐにオッサンにもらったメモがちゃんとあるか確認した。
電話番号を携帯のメモリーに入れて、メモも財布に入れておいた。もし明日彼女の体調がやばかったら電話をしよう……。

次の日、昼前に起きて彼女に電話を入れてみた。何回かかけたが出ない。
しばらく待ってまたかけた。さらに待ってまたかけた。
全く電話に出ない彼女が心配になって、バイクで彼女の家に行った。彼女は実家暮らしで実家の番号は知らなかった。

彼女の家に着いてチャイムを押そうとしたその時、玄関がガチャリと開いて彼女を背負ったお父さんが出てきた。

「☆っ!!」

お父さんはオレを見て、

「☆の友達? 今はちょっと体調が悪いんじゃ。病院につれて行くけー」

背負われている彼女は意識があるのかないのかもよく分からなくて、口をぱくぱくさせてやっと呼吸をしているといった感じだった。
(これは電話をしないと……)

すぐに携帯を取り出して神社の番号に電話をかけた。
玄関から半ベソのお母さんが出てきてお父さんにかけ寄り、

「あなた、救急車呼ぼう!」

「車の方が早い!」

なんて言い争いをしていた。それを聞いてオレはパニックになりかけてた。

「T神社です」

「あの○○と申します、神主さんを、Jさん(オッサン)を!」

「は、はぁ、少々お待ちを」

保留音が2〜3秒流れすぐにオッサンが出た。

「もしもし、大丈夫か?」

「彼女が、☆が!!」

「落ち着け! すぐに来れるか!」

「はい、すぐに、すぐに行くから助けて下さい!」

「すぐに来い! 車か? 気をつけぇ。それと、これは携帯電話か?」

「そうです……」

「じゃあ切るな! このまま彼女の耳に押し当ててわしの声が聞こえるようにせぇ!」

「わ、わかりました」
携帯を自分の耳から離したオレに、両親はすぐ詰め寄ってきた。

「お、おい、今の話はなんや! どういうことや!」

「車で話します! だから、車貸して下さい! スグに!」

気づくとオレはベソかいて涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃだった。

「病院に行くんじゃないんか? 訳を話せ!」

「神社に行くんです! オレが幽霊にちょっかい出したんです! そのせいで彼女がこうなってるんです! お祓いしてもらうんじゃ! スグ行かんと!」

オレはまくし立てた。オレのすごい剣幕に両親も押され気味で困惑していた。さすがにいきなり幽霊とか言われりゃ困惑するだろうが。

「何言ってるの、病院行かなきゃ! あなた!」

迷うお父さんの背中から、☆がふと目を開けてオレを見て言った。

「Yさん……」

絵馬にあった名前、大好きなYさん、オレは血の気がひいた。両親を殴り倒して車を奪ってでも神社に行かなきゃ。

「行こう」

急にお父さんが娘を車に乗せた。

「君が運転してくれ」

オレはすぐに車に乗り込んだ。
お母さんは、

「あなた! 本気? どういうこと!?」

と錯乱気味だ。
お母さんも乗り込んできて運転席のオレにつかみかかるが、オレは構うもんかと車を発車させた。
そしてもめている両親の怒号を打ち消すような大声で叫んだ。

「この携帯電話を☆の耳に当ててくれ!!」

キーキー騒ぎ立てる母親を静止して、お父さんは携帯電話を彼女の耳にあてた。
すると彼女は苦しみ出した様子で、お母さんはもう狂ったように

「やめてー! やめてー!」

と叫んでいた。

「これはなんや! なんでこんなことするんや!」

「神社の神主さんがそうしろって! オレも分かりません!」

車の中はしばらく騒々しかったが、やがてお母さんも落ち着いてきて(というか疲れてきたというか)お父さんは詳細を把握しようとオレに経緯を訪ねた。
オレは神社のこと、女と絵馬のこと、そしてあの夜のことを話した。
両親は信じ難かったろうが特に反論もせず、それからはしきりに彼女の名前を呼んで励ましていた。

神社に着くと、オレは彼女の耳から携帯を取り自分の耳にあてた。電話からはオッサンのお経のような呪文のような、そんな声が聞こえる。

「着きました!」

「〜〜〜。そうか! すぐに前お前が入った建物まで運べ!」

オレとお父さんで急いで彼女を神社の裏手の建物に運んだ。オッサンはなんか神々しい格好をしていて頼もしかった。
「彼女をここに!」

言われた通り彼女をオッサンの前の布が敷かれた場所に寝かせる。
オッサンはお経のような呪文のような歌のような、そんな言葉を発しながら彼女の身体に手をかざしたりしはじめた。
たまに普通の日本語っぽい言葉も聞こえた。
そのうち彼女に変化があった。

「うぅ〜〜、うぉおお〜〜」

うなり声があがったと思うと、彼女は目を見開いて

『またかー! またかー! おのれー! おのれー!』

とすごい形相で叫び出した。身体は反り返り、たまにドスンと床に落ち、すぐ反り返る。
お母さんはその様子を見て気を失ってしまった。オレももう身体がありえないくらい震えていた。

「違う! 違うぞ! この男は違うのだー!」

『ヒャーッ! ヒャーッ! Y〜〜〜〜〜! Y〜〜〜〜〜!』

卒倒寸前のオレをオッサンはいきなり捕まえて、彼女の目の前に突き出した。

「よく見るがいい! おまえの愛した男か! 違うであろう!」

すごい彼女の形相。いや、これはあの女の顔なのか。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい、違うんですごめんなさい……」

オレは絵馬を外したことを心の底から謝った。

『〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』
声にならない声で唸っている彼女、そのうちそれはすすり泣きのようになっていった。
オッサンはそれを見計らったように彼女の横にそっとしゃがみこみ、今迄とはくらべものにならないくらい小さな声で語りかけていた。
オレは腰が抜けて放心状態だった。横では彼女のお父さんもへたり込んでいた。

やがて彼女はだんだん落ち着いた様子になり、オッサンは最後の仕上げとでもいうように立ち上がりまたお経のようなものを読んで、オレらの前にしゃなりと正座した。

「もう、大丈夫です」

それを聞いてオレは涙がボロボロ出た。声をあげて泣きじゃくってしまった。
お父さんとオッサンがいろいろ話をしていたようだが、よく聞いていない。彼女は気を失ったままで、意識が戻ってからでいいので病院に行くように、と言われたらしい。

オッサンは帰り際にオレに話した。

「正直あの程度でここまでつかれるとは思わんかった。あんたぁよっぼど気に入られたんじゃのぉ。もう祓ったから心配いらん。が、もう彼女には会うな。未練は相当なもんじゃ。またあんたと一緒におればああなるかも知らん。もう会うな。お互いの為じゃ、気の毒じゃがそうせぇ」
彼女のことは好きだったのでショックだったが、やむを得ないと思った。
オッサンは続けて、

「できればの、引っ越せ。この土地を離れぇ。それが一番安全じゃ。もとはと言えばあんたの軽はずみな行動が原因じゃ、反省せぇ」

引っ越しはちょっと……と思ったが、やっぱりやむを得ないと思った。学校も辞めなきゃ。

その後、彼女の両親に送ってもらった。
お父さんは「こうなったのは君のせいだが、助けてくれたのも君だから礼を言う」と言ってくれた。お母さんはずっと黙ってた。
オレは両親に「もう彼女とは別れ、自分もこの土地を後にし、戻らない」と約束した。お別れも言えないなんてつらくて涙が出た。

その後、オレは学校を辞めて地元に戻り就職した。
その頃つるんでいた友達(心霊スポットを一緒に回った友達2人も)もちょくちょく遊びに来てくれたが、誰も彼女のことやあの夜の後日談に触れるやつはいなかった。