「今日は山の神様の機嫌が悪い。てっぺんまでは行けんと思う」

なんて不吉な事を言うんだと思いつつも特に気にも留めず、登山は続く。

1時間程上ったところで再度休憩。
男女に別れ、それぞれ用を足しに行く。男はそこらの草場に、しかし女はそうもいかず個室へ。

30分以上経っても女達は帰ってこなかった。

いくらなんでも遅すぎる。 
いい加減心配になり、個室のドアをこじ開けた。

「!」

目も開けられないほどの突風が中から吹きつけると同時に激痛に襲われる。
何が起こっているのかわからない。

ようやく風が収まり、個室の中を覗く。
そこには人の姿は無く、赤黒い塊が黒い液体を流していた。

もう一つの個室にも全く同じ光景。

「まさか…」

その赤黒い塊こそ変わり果てた彼女達の姿だった。

その時彼は初めて気付いた。
自分の左手が無くなっている事に。


彼らは急いで下山し、先程の老婆の元へ。

左手は気を失いそうなほどの激痛。
腋の下を抑えて出血を食い止めながら懸命に走る。

ようやく辿りついた売店で一部始終を老婆に話す。
老婆はパニックになっている彼らを諭すように言った。

「あんた方のお連れさんはドアを開けちまったんだろう。気の毒に…。いいかい、もし今後ドアをノックされても絶対にドアを開けてはいけないよ。もし開ければお前さんも同じ目に合う。ドアというドアに呼び鈴を着け、呼び鈴を鳴らした者に対してだけドアを開けなさい。いいね? 聞いてるのかい?」

それ以来、彼は呼び鈴が鳴らない限りドアを開けないのだそうだ。
そこまで話したところで、バーテンはふぅっと一息つき、そして言った。

「もう二十年も前の話です。正直言って誰かに話したかった。あなたになら話してもいいと思いまして。もう、私は疲れました」

話を聞いて驚いたと共に恐怖に震えた。

あれから二十年経った今でも、彼の家ではドアのノックが止まらないのだという。
そしてもう疲れましたと言って店じまいを始めた。

別れ際、彼は何度も何度も私に頭を下げる。

「こんな話を聞かせてしまい、申し訳ありませんでした。どうぞ忘れて下さい」

それ以来、何度その店に足を運んでも店は休業中だった。

彼はドアを開けてしまったのだろうか。
今、これを執筆している私の書斎のドアはノックが止まらない。