>>28

もともと私はおじいちゃん子で、祖父はその年の正月に亡くなっていました。
急の事だったのですが、せめて初盆くらいは帰ってこんか、と電話で両親も言っていました。それがいけませんでした。

駅の売店で新聞を買おうと寄ったのですが、中学時代の彼女が売り子でした。
彼女は私を見るなりボロボロと泣き出して、BとDがそれぞれ死んだ事をまくし立てました。

Bは卒業後まもなく、下宿の自室に閉じこもって首をくくったそうです。
部屋は雨戸とカーテンが閉められ、部屋じゅうの扉という扉を封印し、さらに自分の髪の毛をその上から1本1本几帳面に張り付けていたということでした。
鑞で自分の耳と瞼に封をしようとした痕があったが、最後までそれをやらずに自害したという話でした。

Dは17の夏に四国まで逃げたそうですが、松山の近郊の町でパンツ1枚でケタケタ笑いながら歩いているのを見つかったそうです。
Dの後頭部は烏がむしったように髪の毛が抜かれていました。
Dの瞼は閉じるのではなく、絶対閉じないようにと自らナイフで切り取ろうとした痕があったそうです。

この時ほど中学時代の人間関係を呪ったことはありません。

BとDの末路など、今の私にはどうでもいい話でした。
つまり、アレを覚えているのは私1人しか残っていないと気づかされてしまったのです。

胸が強く締め付けられるような感覚で家に帰り着くと、家には誰もいませんでした。
後で知った事ですが、私の地方は忌廻しと云って、特に強い忌み事のあった家は本家であっても初盆を奈良の寺で行うという風習があったのです。