私は現在東北の有名な山がある某所にいるのですが、そこであったお話をひとつさせていただきます。この話は友人から聞きました。

今から何十年も前、友人の祖父(以下A)は友人達(以下B、C)を連れて山に山菜採りに出かけました。
いつものように自分の目をつけた場所へ行きお目当ての山菜を夢中で採っていると、友人達がいないのに気づきました。

「おぉい、B、C何処さ行ったんだ」

Aが呼びかけると奥から

「おぉい、こっちだ」

と声がしたので声の元に行くと、そこにはBとCが辺りをキョロキョロ見ながら立っていました。

「おめたち、こんな奥まで何しに行ったんだ」

Aが尋ねるとBは足元を見るように促します。何だと思い見るとそこは真っ黒に焦げた家の跡があり、同様に焦げた木片や金属が落ちています。

それを見たAは何か不気味なモノを感じましたが、

「どうせ山小屋の跡か何かだべ」

と、ごまかしBとCを連れて足早に山を下りました。

山を下り、予約をしていた山麓の民宿に入り女将にさっき見た不気味な焼け跡の話をすると

「ああ、あの場所さ見ちまったんですか」

と何やら訝しげに答えます。それからAが聞き出すと「ここだけの話にしてほしい」という条件であの山小屋について話し出しました。

女将が言うにはあの山小屋、正確には山小屋のような建物は戦時中戦争に行ったり、空襲から逃げられない障害者を隔離しておく施設だったそうです。
隔離施設と言ってもただ閉じ込めておくだけではありません。

何となく察しのつく方もいるかもしれませんが、その施設では障害者を使って様々な人体実験を行っていたそうです。
恐らく足元に落ちていた木片はベッド、金属は医療器具だったのでしょう。

しかしこのような非人間的な行為が許されている筈がありません。
障害者と言っても記憶力や言葉がしっかりした人も沢山いるため、戦後そのまま解放してはこの事が知られる可能性があるので、戦争が終わるとそのまま障害者は施設ごと燃やされてしまったそうです。