1 みさと
女性 33歳 東京

変わったフェチが高じて…

私は幼少の頃から自分の変わった嗜好に気付いていました。

それは、汚れることや貧素な身なりをすることに興奮を覚えるというもので、例えばクラスの他の子が外遊びでドロドロになっていたり、(言葉は悪いのですが)家が貧しいためくたびれた服装をしている同級生の姿を見たりすると本当にドキドキして、小学校高学年のうちには妄想オナニーをするようになっていました。

両親は早くに離婚していたので、母との2人暮らしだったのですが、母は努力家だったので私は不自由なく暮らすことができました。しかし母は潔癖で私が汚れるような遊びをすることを好まず、それを感じ取った私は部活も運動系を選ぶことはしませんでした。

ですが、私がついに「体験」をしてしまうのは中1の時でした。
2 みさと
中1の秋だったと思いますが、学校帰りに夕立に降られたことがきっかけでした。私の家は学校からやや離れていて、途中大きな川を渡る橋があり、傘を持っていなかった私はあまりの雨脚に堤防脇の遊歩道に降りて橋の下に逃げ込みました。全身スブ濡れで髪からは雨が滴り落ち、困ったなぁ…と思っているうちに、ふと気がつくとこの濡れ鼠の姿は小学生のころ、私が羨望の眼差しで見つめていた、雨の中を傘も差さずに笑いながら走って帰る男子たちと同じだなと感じました。

そう思うと、身体がだんだんと反応しはじめ(オナニーだけは人一倍していました)、束ねていた髪を解き、また雨の中へと駆け出しました。今度はわざと水溜りを選んで走り、次の橋まで全力疾走すると、ジャージの背中は跳ねた泥が点々と着き、髪は額と首に張り付いてグシャグシャでした。

こうなると私は無我夢中となり、堤防脇の茂みに座り込んだり跪いたりしながら、全身泥々のびしょ濡れで家につきました。

鏡で自分の姿を見ると、そこにあったのはいつかなりたかった自分の惨めな姿でした。母はその頃介護関係の助手で夜勤も多く、その夜も居ない日だったので、私は思う存分オナニーに耽りました。
3 みさと
そしてその時にまた新たな発見をしたのが、雨に濡れた髪をそのまま乾かすと、少し饐えたような臭いがするということでした。いつか遠巻きに感じていた、貧しい家の子と似たような臭い…私はシャワーも浴びず、濡れたジャージやシャツを一度洗濯機の脱水だけかけて干すと、また同じような臭いがしてきて、私は狂ったようにオナニーをしました。

それからは時々母の目を盗んで似たような行動をするようになりました。あくまでも普段は友達の目もあり、潔癖な母の目もあるので普通の子を演じてしましたが、中学卒業とともに母が処分しようとしたジャージを1着だけこっそり残して、それを高校生になってから汚していました。母の夜勤の日の早朝、雨の日のランニングや、部屋で何度も何度もラジオ体操をして汗をしみこませたり、ノーパンオナニーで股間に愛液をしみこませ、半乾きでビニール袋にしまったり…すごく饐えた臭いのするジャージにして、それを着てのオナニーは最高に興奮しました。そのジャージは何度か手洗い程度に控えながら今も持っています。

そして、さらに私の人生を変えたのは、メール調教との出会いでした。
4 みさと
高校を卒業後は上京して、介護系の専門学校へ行きました。この頃は本当に忙しく、講義とバイトと環境の変化でしばらくフェチはお休みしていました。
就職後は介護士として訪問系のサービスをしていましたが、上司との折り合いが悪く一度退職しました。その後、再就職先を探していた時にネットを本格的にするようになり、面白半分でフェチ系のサイトを見るようになってから、私の嗜好が再燃しました。

私のような嗜好に興味を持ってくれて、ネット上で交流を持つうちに、「調教」という形で私にアドバイスをいただけるようになってから、本当にはまってしまいました。

最初の失業保険が切れるまでの間、私の昔の憧れをもとに皆さんが考えてくれたのは「貧乏っ子屈辱キャラ」で、私は風呂無し六畳一間の古アパートに引っ越し(結果として家賃が浮いて助かりました)服は就職活動用を除き全て処分し、中学の頃のを含むジャージ3着と100円ショップのシャツや下着数枚、防寒用に雨合羽と安物ナイロン上下だけにされてしまいました。

写真付調教だったので髪は一度耳が出るほどのショートにさせられてからは伸ばし放題、他のムダ毛処理も禁じられました。

銭湯に行ける日はほぼ5日に1回、シャンプーなどはすべて100円ショップで揃えました。雨の日に銭湯に行かされ、せっかく洗った身体をまた雨で濡らし、饐えた臭いに次の銭湯まで包まれるという屈辱も味わいました。

最初の調教は25歳の頃でしたが、半年もしないうちに見る影もなく私は屈辱的な貧乏女となり、毎日が興奮の連続でした。

たくさん書いたので、続きはまた改めてたいと思います。
5 ハル
今も貧乏キャラは続けてる?
6 みさと
貧乏キャラはいろんな経過がありながら今も続いています。
調教といっても私の場合は肉体的にハードなものではなく、精神的に貶められるところが大きかったので、少しお休みをいただいたりしながらアドバイスを受けている、といった感じです。

先ほど25歳が初めての頃と書きましたが、その当時印象に残っているのが「10日銭湯に行かずに頑張って、すごく臭くなってからコンビニに行き、エッチな本を10分立ち読みして、それと生理タンポンを買って帰る」という命令でした。5日でも充分臭いと思うのに、10日入浴できないのを想像できるでしょうか。具体的に言うと頭皮はけっこうかゆくなり、髪は脂で束になり櫛がとおりずらくなります。その髪を無理やり束ね、洗顔こそ許されているのでまだましでしたが、腋からは酸っぱい臭いがして、胸の間はベトベトでした。足は臭いますし、下着は洗剤無しの手洗いを許されていたものの、毎日のオナニーでシミがはっきりしていました。その時は同じジャージを10日着続ける命令だったので私の臭いがしみついていて、夜中とはいえ本当に外に出るのがはばかられました。(普段の食料は銭湯に行くときにまとめ買いをしてなるべく人目を避けていました)コンビニではトイレ入り口の前にエッチな本のコーナーがあって、エッチな本を手に取るのだけでも精いっぱいなのに、トイレに行こうと私の後ろを通る人や近くの雑誌を手に取る人が露骨にいやな顔をして私を睨んだりされ、10分が過ぎるのがひどく長く感じられました。レジでも店員さんに驚きと蔑みの表情をされ、私は頭が真っ白になってアパートへと戻りました。行動は写メで随時送るように指示されていたので、嘘をつくこともできず本当にエッチな本を買って部屋でそれを見た時には、もう落ちるところまで落ちてもいいと思いました。

思い出は他にもあるので改めて書きます。

失業保険が切れるころになると生活そのものが怪しくなってきたため、いったんは就職をすることとしました。自堕落な生活を続けていたため介護の仕事に就く気もしなくなり(母には続けていることにしていましたが)、いくつかの職を経ることになりました。
7 芳香剤
すごくいいね
「いくつかの職」も、汗かくような仕事でお風呂入れない、とかだったのかな?
8 みさと
その後就いた仕事は調教してくれていた方の勧めもあり、まず初めに道路保全作業員のアルバイトをしました。主に道路脇の草刈りやゴミ拾いの仕事でした。

私の他は50-60代の方がほとんどで、当時20代の私はとても目立つ存在で、よく「どうしてこんな仕事してるの」と同僚の女性作業員の方から聞かれましたが、苦笑いでやり過ごしていました。

さすがに銭湯に行く回数は増やす許可をもらえましたが(3日に一度程度)外仕事の汗はやはり臭いがキツく、ヘルメットの中の臭いを嗅いだりして悦んでいました。

冬になると仕事が無くなってしまうので、次の仕事を探していたところ住み込みの家畜作業員というのを見つけ、就職しました。
9 みさと
話は前後してしまうのですが、調教の初めごろ「山手線ゲーム」と題して私が山手線に1周乗車する指示を出されました。乗るといっても銭湯に行く日、つまり5日目ですから臭いが漂う日で、外出用の地味なジャージにナイロン上下を着るのを許されましたが紺のナイロン上下ではかえって山手線では目立つ結果となり、暑くて汗もかきさらに臭いを増すことになってしまいました。周囲の乗客は私をじろじろと見て、女子高生からは「絶対あいつ臭い」「ホームレスじゃねぇの?」と指を差されました。視線を落とすと汚い運動靴が見え自分の惨めさにまた興奮する変態でした。
10 ハル
今も風呂は何日かおきなの?
11 みさと
実は家畜作業員時代にフェチの世界から足を洗っていた時期があります。

仕事がハードで余裕が無かったのと、やはり臭いがまるで異なりお風呂はちゃんと入らざるを得なかったからです。

その後パートながら介護職に復帰し、更生したように思っていたのですが、またスマホでフェチ系サイトを見るようになると欲望に勝てず…徐々に調教を受けるようになりました。

今はまた5日に一回くらいの入浴で、本当に臭い女です。
12 かみや
良い匂いがしそうですね。
酸っぱい系ですか、脂っぽい系ですか。
13 みさと
お返事遅れました。
コメントありがとうございます。

たぶんどちらかというと脂っぽい系かと思います。普段部屋着の中学生時代のジャージはファスナー全上げでいつも着ていますが、胸元から甘ったるい脂の臭いがする気がします。腋は酸っぱい系です。
14 虎虎
いいなー
みさとさんの臭いにおい嗅ぎたい

長年そんな生活してたら臭いの取れないね