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ひとり言・気まぐれ・どうでも( ・∀・)イイ!!こと・ど助平・ど変態・掲載不可に成りにくいと勝手に思つてる掲示板
真山
あらま、マスターも最近甘い物に凝ってらっしゃるのですね😊😅
わたしも最近甘い物が多くて少し困っております。
ストレスが酷いのでしょうかねぇ?
ついついコンビニでミルフィーユ・バーとか濃厚チョコブラウニーとか
ついつい買って食べてしまっております💦
真山
護謨押目 様

初めまして。どうかよろしくお願い致します。
わたしもゴムフェチなので、投稿文に突き刺さる物がありました。
わたしがゴム張り生理帯を知ったのは、昭和の終わり頃でした。
わたしは当時を知る世代ではなかったので、当初はどんな物か
想像もつきませんでした。
平成の初め頃、初めて懐古堂製のゴム張り生理帯を手に入れ、
身に着けました。ゴム張り生理帯もゴム張りおしめカバーも
本当に素敵ですよね。
MS
どうでも( ・∀・)イイ!!こと。

久しぶりで東横線・自由が丘に出かけた。
モンロワールのチョコレート・アカシヤの蜂蜜
(血糖値上げない)から買つた。

偶然とは此の事。
顔見知りのマニアさんとあつた。
コーヒー誘つて別れた。
横浜開港祭の時もマニアさんと、大勢の中であつて
コーヒー誘つた。
広いようで狭い世の中・・・
こんなこともあるんですねエ。
護謨押目
護謨押目さん作品群(2)車いすの幸

(4)
死に行く者の最後の願いとして、この子の命だけは助けて下さい」と書いた手紙と戸籍謄本が1通を渡されました。
 死因は、局部からの大量出血に因る死との事でした。
 18歳の誕生日に園長さんのお世話で就職出来たのと同時にアパートを借りて独立しました。しかし、12年間勤めた工場があっけ無く倒産してしまいした。
 不況でこの2年間は、人材派遣会社からの現場労働の仕事が時々ありましたが、建設に携わる特殊免許(鉄筋工、型枠工、クレーン玉掛け功)などを持たない私には、益々仕事が無く成って行きました。就職先も見つからず失業保険も切れた上にプリペード式携帯の登録した派遣会社からの連絡も途絶えて4カ月に成ります。今は、アルミ缶を集めてその日暮しをしています。
 手荷物一つでアパートを出てこの公園に来て一月に成りますが、時々物思いにふける事が多くなりました。
 18歳まで育った施設での生活で夏休みや冬休みには、隣の養護老人ホームの手伝いをした事や、一人でいる時は、絵の具を出して見ず知らずの母の顔を想像して書いたりして過ごした日を懐かしく思い出されて、人恋しさが募り自然に涙が出ている自分に情けなく成ります。「頑張らなくちゃ・・・」ニッコリと。
 麗子は、「護謨夫さんの目を見ていると、私には悪い人に見えず正直な方と思います。私の家は、この公園より1時間半程の町外れに住んでいます。良ければ下宿しませんか」と言った。護謨夫は、「氏素性の分からない上に家賃も払えない私を住まわせる事に家族の方は、反対しないのですか」と聞き返した。 Up 5/19 11:43
護謨押目
(3)
男性は、絵を見ながら「絵は嘘をつきませんよねぇー、あなたの清らかで少し寂しさが、色使いに現れています。しかし私は好きです」と批評しました。
 二人は、やっと打ち解けて話すと、今迄の寂しさを埋める様に会話が弾み3時を過ぎていました。
 落着きを取り戻した二人は、改めて自己紹介をする事にしました。
 先ずは、私から「睦木麗子 28歳 町外れの家に住んでいます」と言うと男性は、「穴吹護謨夫 32歳 只今無職 住居無しです。」と明るく答えた。
 私は、「今日は何処に止まるの」と尋ねると、梅雨空を見上げながら「ここが、今の住みかです」と明るく答えた。
 麗子は、「ご兄弟とか親戚の方と連絡をしているの」と聞けば、護謨夫は寂しげに生い立ちを語り始めました。
 私は、生まれて直ぐに乳児院に預けられ、其のまま18歳まで施設での生活をしていました。未だに大事に持っているのは、母の手紙です。
 園長さんの話では、痩せ細って患っている様に見える30前後の女性が、施設の前で園長さんとバッタリ出会うと「どうかこの子を助けて下さい。私には、育てるだけの力がございません。生まれて3日を迎えるこの子を預かって下さい」と、乳児と封筒を託すと、その場で血を吐き倒れました。直ぐに病院に運びましたが、その日の内に母は亡くなったと聞かされたのが、私が6歳の時でした。
 封筒には、「貧しい母の家族である父母と兄も結核の病で既に亡くなり、私も近くの農家の手伝いなどをして一人暮らしをしていました。
 十カ月前に村の3人の若集に強姦されました。そして、三日前に一人で我が子を生みました。消耗した体力に結核に因る吐血を繰り返しその上に、下血も止まらず死期を感じて書面を残す事にしました。
MS
どうでも( ・∀・)イイ!!こと。
閉店前は一日6000歩。今は閉じこもり・・・
これじゃあまずいと歩き始めたけど目標がない。
ド助平・ど変態の頭に浮かんできたのは洗濯物。
以前、どう見てもパンテイタイプのおむつカバー
しかも黒いレース付き。
これには興奮した。
と言うことで女性の下着も魅力だから散歩に前向きに。
所で以前、女性二人がしゃがんでスカートの中丸見え
の写真、顔隠して掲載したら親切なマニアさんが、盗撮
ですよ・・・教えてくれた。

洗濯物撮つて掲示板掲載は違法・盗撮になるのかなあア。

(なるんでしょうね。だから撮るのはやめて見るだけ。) Up 5/19 11:00
護謨押目
(2)
ゴムフードに打ち付ける雨音が、子供の頃に返った様な懐かしさに浸りながら遠足気分で自然公園に向かいました。   
 小さな町外れ家から小高い山林に囲まれた社を過ぎて自然公園には、1時間半程で着きました。電動車椅子を使わないのは、運動不足を解消する事と腹部への腸の機能回復訓練も兼ねているからです。
 自然公園は、広く周りには丸太屋根の休憩所が4か所有り、トイレも介護用1か所と普通2か所が有ります。
 又、湧水が美味しいと遠くから水を求めて来る人もいます。
 私は、介護用トイレに近い休憩所のベンチテーブルに車椅子を着けると早速絵画の準備に取り掛かりました。
 2時間程で大体描けましたので、後は家に帰って仕上げをする事にして、昼食のお弁当を取り出しました。
 その時、ドスンと音がすると同時に「痛い」と声がしてテーブルを挟んだ向かいのベンチに寝ていた若い男性が、転げ落ちたのに気付きました。
 車椅子からは、向かい合ったベンチに寝ていた男性の姿が見えずにいたので、びっくりしました。そして、テーブルに手を掛けて起き上がって来た男性は、ニッコリ笑いながら「驚かせてごめん」と頭を下げてベンチに座りました。
 私もコックリと頷きながら弁当を開けると、かすかに「グー」とお腹が鳴る音に気付き男性を見ると目を瞑って我慢している様に見えたので思わず麗子は、「おなかすいてるの」と声を掛けると、目を瞑った男性の目から涙が一滴キラリと頬を伝わって落ちたのを見ました。
 彼は、二年前から仕事を失いその日暮しを続けて預金も底が尽きアパートの家賃も払えずに三日前からこの公園に来たと話しました。
「昨日からお金も尽き水を飲んで飢えを凌ぎましたが、体は正直な物で音を聞かれ情けなさに涙が出てしまった」と言いました。
 私は、弁当を差し出して「好かったら食べて下さい」と言うと、遠慮なく食べ始めました。
 Tシャツにジィーンズ姿の男性が、美味しく食べているのを見ると、忘れていた家族の幸せな気持ちが甦ってきました。
 男性は、「ありがとう、美味しかったです」と言いながら私のスケッチブックに目を遣り「あのー、少し見せて頂けませんか」と聞いた。私は、今迄描いた絵画を見せる相手も無くて、嬉しさと恥ずかしさが混ざり合った気持ちで「我流の下手な絵ですが、見て下さいますか」と差し出しました。
護謨押目
車椅子の幸 (1)

護謨 押目 作
第一章 出会い

 私は、睦木麗子 28歳です。母は、独身で私を生みました。私が25歳の時でした。
 日曜日の昼下がりに母と買い物に出かけました。梅雨の長雨に車から二人に水しぶきを掛けて通り過ぎて行きました。横断歩道の前で信号待ちをしていると傘の隙間からレインコートを濡らす程に雨足が強く成る中で交通事故に遭いました。交差点での直進車と右折車の前方不注意に因る追突事故で、片方の車が歩道に乗り上げて母と私が事故に巻き込まれて母は即死そして、私は重体でした。
 私は、命を取り留めたものの両大腿部複雑骨折と内臓破裂と軽度脊椎損傷を負いながら1年余りの入院生活を送り、退院後は家でのリハビリと車椅子での生活を送っています。
 今も、両足の膝関節の歩行障害と尿漏れそして、大腸の蠕動運動の低下に因る慢性便秘症に悩まされています。
 事故以前は、母と私はお勤めをしていました。休日には、町はずれの小高い山林に囲まれたこの自然公園にピックニックに来ては、二人でお弁当を食べて半日を過ごすのが一番の楽しみでした。
 今は、時々この公園にリハビリを兼ねて散策に来ては、趣味の風景を写生して半日を過ごして帰ります。
 春も過ぎ梅雨の季節入りましたので、雨に霞む山林の風景画を描きたくて朝から準備をしています。何時もの様にベッドの上で、外室用に使い捨ての紙おむつを着けます。表が可愛いプリント地に裏が生ゴムのおむつカバーを穿き終えると赤いタータンチェックの短い袖のワンピースドレスを着ました。
 少しは動く足には、赤いゴム製の膝丈のロングブーツを履き赤いゴム引きレインコートを着てウエストベルトを締めました。
 車椅子の背のバッグには、絵画道具とお弁当そして、タオルや紙おむつにおむつカバーとゴムシーツと緊急用浣腸等を詰め込みが完了すると、手には赤くて少し厚めの天然ゴム手袋を嵌めて車椅子に移りました。 
 外は、雨模様で車椅子を回すゴム手袋も濡れて赤く輝いています。
 私の20歳の誕生日に母買ってくれた英国製の赤いゴム引きコートを着ていると母の事を思い出されて好きです。 
 
護謨押目さんより伝言・・・
一気に書き上げた為に今読み返して見ると、
誤字脱字が多く乱文編集をする迄は、読者様には
ご容赦の程よろしくお伝えお願いします。
(との事です。)
護謨押目
(9)
お尻の内部にバルーンを卵大に膨らましてから浣腸を入れます。
 入れ終わるとカテーテルのゴム管にクリップ栓をして漏れ出るのを防ぎます。
 お薬が効くまで股間に男根型のバイブを入れると、長く我慢が出来て喜びます。
 普段から、局部にはバイブを入れる事が習慣に成り、入れないと泣き出します。
 風呂に入れても、体を洗うのが精一杯です。長い髪は、ベッドに寝たままで洗髪用のゴム製のケリーパットに頭を入れて、それに繋がるゴムの滑り台のゴム漏斗の先にバケツをベッドの下に置いて、洗髪に使った水を流し落とす様に作られた物を使います。
 後ろの首筋に周りがUの字に膨らんだゴムクッションが、柔らかく支えます。
 そのUの字に膨らんだクッションの真ん中に頭を入れて洗髪します。
 めぐみは母の手で、ベッドに寝ながら洗髪されると気持良くお漏らしをします。
 そんな我が子が愛おしく思いながら、めぐみと同様に股間にバイブを挿入して浣腸を入れてめぐみに見せつける様にオナニーをしています。
 めぐみは、「ママ、イッショにアソボー」と乳首に吸い付きます。
 二つのバイブのリモコンを強にして二人で抱き合うと、乳首から離れた唇が、母の舌を強力に吸い口唇の性感を刺激します。
 唇を重ねた二人は、互いの舌を絡ませて唾液を吸い愛しています。
 気持ち良いバイブの振動におむつカバーの中は、愛液とお漏らしが混ざり恍惚とした世界に導かれた二人は、ゴムのおむつカバーの姿で腰を動かし快感の絶頂を迎えて何度も痙攣します。
 母と子の女同士の貧欲な行為が、何時果てる事も知らず異常な愛欲に溺れながら一日が過ぎ去ろうとしていました。    (終わり)